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kibou 01


近所に潰れかかっているビデオ屋がある。H系がそのほとんどの収益であろうことが容易に想像できる、まあ田舎によくあるビデオ屋だ。そこにはDVDではなく、ビデオが大量に置かれているコーナーがある。
それを1本210円とか5本500円とかで販売している。もう店として持っていてもゴミになるだけだろう。
自分の家にはまだビデオデッキが生きているので、掘り出し物があれば買うこともある。
昨日の記事の映画100選で挙げた黒沢清監督の「ニンゲン合格」を発見して、おもわず買った。

寝る前に冒頭10分くらいだけ見て寝ようと思って、見始めたら面白すぎて最後まで見てしまって、途中から涙、滂沱して仕方なく(涙腺ゆるすぎ)、明日仕事で朝早いのに興奮してしばらく寝付けなかった。前半は笑いがとまらなくて、後半は涙がとまらなかった。公開当時も傑作だと思っていたが、10年後の今見るとよりクリアー にこの作品の輝きをつかむことができた。

一番驚いたのは、この作品の世界の鮮明なリアルさだった。
唐突に現れる段ボールとか、唐突な父の船の事故とか、唐突な死とか、というかこの映画は全部唐突だけど、その唐突さが自分にはとても自然なこととして受け入れられた。この生きている世界にとても似ていたことに驚いた。この唐突さ、あるいは不条理さが〈笑い〉や〈ユーモア〉を生むのは間違いないが、笑ったあとにこの世界との生き写しであることに、いちいち気づかされた。

描写がどれもさらりとしているけれど、背筋が凍るほどの絶望がこの作品の背景にはある。

「この幸福は絶望なのです」カフカ

見直して何度も想起していた作家は小津安二郎とカフカだった。
「秋刀魚の味」と『城』をもう一度振り返る必要がある。

寓話。この世界こそ寓話そっくりではないか!
笑えばいいのだ。この世界を。絶望を。幸福を。

この作品にはアフォリズムのような強い言葉が台詞によって吐き出される印象的な場面が幾つかある。
そのなかのひとつ。
唐突に吉井の口から呟かれる言葉。
「俺はどこかから来た。そしてどこかへ行く」

それもまた、衝撃的なくらいとてもリアルだった。
どこから来たのか、どこへ去っていくのかという、その「どこ」を探求する必要はない。
向き合うべきは、どこかから来て、そしてどこかへ去っていくという事実だ。


「好きにやればいい。それが一番うまくいく。」
2度ほど繰り返されたこの台詞も、今の自分には痛切に響いてくるのだった。


黒沢監督と縁のあった自分は、この映画のあるシーンでエキストラとして画面の隅っこに写っている。地方の田舎の小さいビデオ屋で見つけた映画に10年前の自分がいるこの因果にあらためて映画の大きさを思う。

(あらすじを書かないから、見ていない方にはなにを話しているかさっぱりで不親切だけど、世の中には人を根底から動揺させ覚醒へと導く映画があるということを書きたかったのです。こういうのを希望と呼びたいのです)





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