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2009.10.11
記憶たちはすべて掬いとられる

いろんな歴史が刻まれているのではなかろうか。
この世界のさまざまな場所に。
何年になんとかの乱が起こったというような大文字の歴史でなくて、
名もない多くの人たちの会話や笑い、涙、怒り、誰もが忘れてしまっている普通の日常の、出来事とさえ呼ぶのもためらわれるようなことさえも。
誰それが生きた痕跡は確実に刻まれているというか残っているのではないかと、
ゴダールの「フォーエヴァー・モーツアルト」という映画を見て確信に近いものを得た。
唐突にゴダールの映画を見て、そう直観した。
ゴダールの「勝手にしやがれ」を見たのが19才くらいの時だから、
それから10年以上経ってやっと、ゴダールの映画の入り口に立てたような気がした。
芸術というのは、そういうスパンのものなんだ。
昔の映画を見ると、もうそこには現在生きていない人間が生き生きと笑い泣き演技している。
監督やカメラマン、美術の人間ももう生きてはいないけど、作品は輝き続けている。
ゴダールの「フォーエヴァー・モーツアルト」に写る信じがたいような海の波の光景とか突風、車、赤い衣装、何度も駄目出しされる女優の顔、炎を見ていると、それが現にこの世界で起きて、歴史=物語となっていることがフィルムを通して証明というか明確になっている、そのような〈運動〉を直に体験するのがゴダールの映画なんだということが、見えてきた、自分の頭ではなく身体で。
でも今日はゴダールを語りたいわけではなくて、そのようにこの世界に刻まれてゆく記憶について語りたい。
たとえ、映画のような「作品」という形式をとらなくても、この歴史、記憶は場所に刻まれているいるのではないかという直観から考えたい。神秘主義でもないし、欠けた柱を見てこれは新撰組がつけた刀傷だというようなことを語りたいわけではない。
たとえば遠く故郷を離れ都会で暮らす人間が、正月やなんかに実家に帰って感じる安心感は、自分の経験で言えば、あふれんばかりの記憶が実家や地元に刻まれているからに他ならなくて、それは実家に限らず公園とか学校とか好きな人と待ち合わせした店とか…これを延長していくと、たとえ自分が忘れてしまっていること(ほとんどだけど)でも、足跡のようなものがきっと残っている、それが無数の人たちで織りなされているのがこの世界なのではないのかと。
それも「場所」という形式すらもとらない記憶もあって、季節とか音楽とか、場合によっては洗濯剤の香りとかから喚起されるものもあるだろうし、しかもそういった集積されたものは個人に封印されているだけではなくて、身体を通して共有されているのではなかろうかというのが大胆な仮説というか直観で、地下水や地下茎が全然予想もつかないところで繋がっているように、それを集合無意識とかDNAとかで説明するかは迷うところだけど、現在進行形の形で突如としてシンクロしてしまったり、偶然と呼ぶにはあまりに不可思議な出来事だったり…。
少し脱線したので記憶の話しに戻すと、自分にとって重要な記憶はモニュメントされるような大きな強い記憶ではなくて、もう忘れてしまっているような記憶で、自分の人生を見ても記憶に残るような大きなものは全体の1%もないだろうし、部屋でぼっとしていたとか、ちょっと外を歩いたときに感じたこととか、そういった小さなことを見ていきたいし、そういった小さなこともぜーんぶこの世界に残されているのではないのかと唐突に思うのだ。ブログはそういった非存在的なものを綴るのに相当適していると思うのだ。
ヴァージニア・ウルフの『存在の瞬間』より
「なぜなら人が憶えていない事柄も同じくらい重要だからである。おそらくそれらはもっと重要なのだろう。もし私がある一日全体を思い出せたならば、少なくとも表面的には子供としての人生はどんなふうであったかを描き出すことができたろう。不幸なことに、例外的なことを人は思い出すだけなのだ。それに、あることが例外的でもうひとつのことはそうでない理由は存在しないように思われる(中略)日常の日々は、存在よりも非存在の方をはるかに多く含んでいる。たとえば昨日、八月十八日火曜日はたまたまよい日だった。つまり平均以上に「存在」のうちに過ごされた。天気は晴れていた。(中略)先週、私は微熱があった。ほとんど一日中が非存在だった。真の小説家はどうにかして両方の種類の存在を伝えることができるのだ。」
ちいさな写真。
1年前の京都の宝ヶ池公園。井の頭公園に少し似ていた。
友人と散歩して小雨が降って、ベンチに座った。
日が落ちて、いろんな輪郭線が闇に溶けていったことを、
この写真が記憶していた。
そしてそれには明確な日付が刻まれている。
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