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2009.10.07
共鳴感覚を

台風が近いこともあってか、朝玄関を出たら大雨が降っていた。
でもその雨はあきらかに冬の雨だった。
夏の雨は大気自体の湿度を上げ、不快指数も高く、草の匂いも鼻のまわりをまとわりつくようだが、今日の玄関を出た時の雨は、雨粒自体が冷たくひやっとし、草の匂いも引き締まっていた。
ここ九州では夜中に台風が通過するらしいが、家の中とか蒲団のような安全地帯にいると童心をくすぐられるというか、台風が愉快極まりないものになってしまう。
自分はいつしか気圧というものに敏感になってしまって、台風が近づいたり去ったりすると、なにか心持ち地に足がついていないようなふわふわしたような、船に酔っているかのようななんだか不安定な気分になってしまう。
最近は仕事の関係で別府湾を望む“うみたまご”という水族館に来ている。
今日は朝からその海の波止場に打ち寄せて砕け散る波濤とか、うねりまくる白波とか大小様々な千変万化の波浪をずっと見ていたら、理由もわからずエロティシズムを感じてしまった。
朝から昼、夕になるにつれて台風が近づき、さらにひとつひとつの波の力が増していくにつれ、その律動、バイブレーションが激しくなっていった。生のフォルティシモ。
自分の身体のほとんどが水で、ペットボトルの中の液体を見ても分かるように、すぐになにかと共振したり、揺れたり、微細に震動したりしやすい。
「身体は皮膚という体液のつまった袋の中に内臓や筋骨が浮いている」野口三千三
海の激しいゆれのエネルギーに自分はシンクロして共振したのかもしれない。
そもそも身体には波のような律動がつねに弾けているのだろう。心臓の心電図の波のような。
濃密な森の中にいて、歩き疲れて理性が弱くなり、自他の境が薄くなって、自然と一体化したような気分になる場合は、自然の中にあるゆれと同調しているのだろう。
人との相性とかも、このような相手の波と合うとか合わないとかかもしれない。
音楽も、きっとこういったことと深く関係している。
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