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2009.10.04
切り替えられないことも

秋雨から唐突に秋晴れ。
秋の快晴は空気が澄んでいるせいか、遠くの景色も近くの景色にも
全部ピントが合っているかのような景色の見え方がするので、しばし困惑する。
鹿児島の桜島が噴火したようだ。
錦江湾の魚がここ数年パタッと穫れなくなったと聞いていたから、魚はなにか異変を感じ取ってしたのかもしれない。
桜島は最も好きな山のひとつで、威容といい、そびえ立つ場所のポジショニングといい、近くに行くと岩だらけの殺伐さといい、どれをとっても素晴らしい山。ついでに梅崎春生の『桜島』も好き。
特に電車の窓から見える桜島のスケールには言葉を失う。
富士山のように美しいという感じではない。北アルプスや白山のように神々しいという感じでもない。
迫力があるというか、一般的に言われる雄々しさみたいな存在感。どーんとした。もはや薩摩とは切っても切れない象徴性。
そんな桜島大好きの自分は、ある主婦の方が書いている桜島のブログを何年も読んでいた日々があった。
そのブログは朝、飼っている愛犬との散歩を記したブログで、いつもワンショットでその日の桜島の写真が掲載されていて、記事自体は愛犬への愛情と桜島の様子を記した普通のものなのだけど、ほぼ磯の浜の同じポジションから撮られる毎日変わる高画質の桜島の写真が好きで好きで、ずうっと見ていた。
それを見ていたら、定点観測の力について日々考えさせられていた。
反復と差異。
朝日に照らされる信じがたいような桜島だったり、雨の日なんかはなにも見えないショットだったり、霧の中に浮かびあがる桜島だったり、噴煙を吹く桜島だったりと毎日更新される桜島のショットを見ているうちに自分の中で量が質に転換していき、なにかこう熱いものさえ沸きあがることさえ一度や二度ではなかった。
それはもしかしたら、呪術とか信仰とか祈りとかに近いものだったのかもしれない。霊峰とか霊山とか呼ばれ信仰の対象になっている山は多いけど、なにか宗教の発生する始源に立ち合ったかのような気がした。宗教って、こういうところから立ち上がるのかなと。
何年も見ていると、そのワンちゃんのことにも感情移入してしまい、ネコ派だけどこのワンちゃんだったら飼いたいなあとさえ思った。
毎日更新されていたそのブログが、ある日突然更新されなくなったことがあった。
1週間ほど。
精神的な支えかそれとも依存的なものになっていたのか、自分にとってその1週間はとても長かった。
1週間ほどして、また唐突に更新された時の、桜島のショットの感じがなんかこう、いつもと違っていて、戸惑いと同時にまた強い興奮というか感動があった。
そしてそこの記事には、その愛犬の死が綴られていた。
そのブログにアップされる桜島の写真は朝の散歩時のもので、当然光が朝のそれなわけだけど、この愛犬の死を記した時の桜島はどうも真昼のものみたいで、確か浜辺にいる人とかも写り込んでいて、その昼の光での桜島に違和感と感動を覚えたのだと思う。
昼の光に浮かびあがった桜島には、ある種の「しらけ」みたいなものがあって、まさにそれは白日のもとにさらされたものだった。(ほの暗いBarで酒を飲んで気持ちよく酔って勘定をすませ、エレベーターに乗るとその白々とした明かりに興醒めするみたいな感じ)
そんな感動的なショットのまま、また作者の悲嘆を表現するかのように、数週間そのままで更新されなかった。それがまた感動的だった。
が、しかし数週間してブログが再開されると、今度新しく飼うことになった別の子犬の記事に変わっていた。。
僕はペットを常に飼っている人間ではないので、こういうふうに切り替えていく飼い主が普通なのかわからなかったけど、けっこう動揺してしまった。。善とか悪とかでないし、別の犬を飼うことが前の犬への裏切りになるとも思わないし、書かれていない色んないきさつもあったのだろうけど、、、なんだか心理的にかなり動揺してしまった。。それからちょっぴりテンションが下がってしまって、見ることもなくなってしまった。。
(※ここに書かれてあることは記憶を手探りにしているので、けっこう思い違いもあるだろうと思い、久し振りに検索して見てみたらリニューアルされたようで、もう昔の名残はなくなっていました。いまでは感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございました!)
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