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7、8年前に沖縄に行った。主に南部の戦跡を見て回った。

平和記念公園やひめゆりの塔など定番のコースを回るもピンとこなかった。

思い切ってタクシーに乗って、喜屋武岬に向かった。

喜屋武岬の海岸線は険しい崖に縁取られており、沖縄戦下、追い詰められた沖縄県民たちの多くがこの崖から飛び降りて自らの命を絶った。

人っ子一人もいず、一見すると景勝地のような美しい海岸線。リゾートを思わせるコバルトブルーのきらめく海が、かえって悲しい。そしてこの足がすくみ、長く立つこともできない絶壁の前に立った時、自分はこの戦争を「理解した」ような気がした。足元から確かにわかった。

ここから自分に「あの戦争はなんだったのか」という強い問いが生まれたのだった。

それは残念ながら平和記念公園やひめゆりの塔では得られない「実感」だった。その違いは何か。それは前者があくまで「情報」であったのに対し、喜屋武岬は「体感」の、頭での理解を超えた、おぞましいものをおぞましいままに伝える現場であったのだ。

修学旅行生であふれかえる前者と、人っ子一人もいない喜屋武岬。

平和教育であの戦争の悲惨さを忘れるなとは言うけれど、資料や情報を見せるだけでは何も伝わらない。「悲惨」という意味の体系に収まり落ち着き、安心してしまうだけだ。喜屋武岬には「悲惨」ではおさまりきれないものがある。ここでは人は安心できない。

しかし、そういったことも見せ方次第では「情報化」へと堕してしまう。先入観なしに、「感じ」てもらえるような教育は難しい。「感じ」てもらったことは一生忘れない。「情報」はレポートを書くためだけの暗記に終わってしまう。

私はいまだに「あの戦争はなんだったのか」という問いは消えないし、これからもリフレインし続けるだろう。

岬にあった手製の看板に書かれてあった詩を掲載する。

これを読んでいたとき、もはや自分にとってこの詩は「情報」ではなくリアルな実感としてあった。

「平和への祈り」

岬 岬 喜屋武岬

男性のような 荒波の岬

戦争は 西から追われて 南に流れ

着いた所は 喜屋武岬

老いも若児も ここが最後の場所

ここが 喜屋武岬

ここが おいらの岬

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