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2008.11.30
司馬遼太郎
友人から司馬遼太郎を勧められ『関ヶ原』を読む。
高校の頃、司馬遼のいくつかの短編は読んでいたが、国木田独歩の言うような「光に闇を見つけ、闇に光を探す」人間になってしまった今に読むと、その味わいは格別で、読み終えるのが惜しかった。
司馬遼は太平洋戦争での日本に嫌気がさし、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として歴史小説を書き始めたという。で、あるからかどうか分からないが東軍に寝返った小早川氏への記述は容赦ない。人間として「醜い」ということが、どういうことかよく分かる。こんな風に後世に語り継がれたらたまらない。
その友人とも話したのだが、関ヶ原の時代でも、情報が伝達されるネットワークの網の目は十全に敷かれており、特に「噂」というもののもつ力、怖さは、家康も充分自覚的であり、家康が他の武将より抜きん出ていたのは、まさにこの点だったのではないか。
現代を「情報化社会」と呼ぶが、それは戦国の世も、卑弥呼の時代もそうだったに違いない。逆にインターネットなどの至便な技術の方が、取りこぼすものが多いのでは。
今日、大阪から憧れのダイヤモンドフェリーに乗って地元大分に帰るので、ブログ更新が滞るかもしれません。うちの実家はネットがつながっていない。。
高校の頃、司馬遼のいくつかの短編は読んでいたが、国木田独歩の言うような「光に闇を見つけ、闇に光を探す」人間になってしまった今に読むと、その味わいは格別で、読み終えるのが惜しかった。
司馬遼は太平洋戦争での日本に嫌気がさし、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として歴史小説を書き始めたという。で、あるからかどうか分からないが東軍に寝返った小早川氏への記述は容赦ない。人間として「醜い」ということが、どういうことかよく分かる。こんな風に後世に語り継がれたらたまらない。
その友人とも話したのだが、関ヶ原の時代でも、情報が伝達されるネットワークの網の目は十全に敷かれており、特に「噂」というもののもつ力、怖さは、家康も充分自覚的であり、家康が他の武将より抜きん出ていたのは、まさにこの点だったのではないか。
現代を「情報化社会」と呼ぶが、それは戦国の世も、卑弥呼の時代もそうだったに違いない。逆にインターネットなどの至便な技術の方が、取りこぼすものが多いのでは。
今日、大阪から憧れのダイヤモンドフェリーに乗って地元大分に帰るので、ブログ更新が滞るかもしれません。うちの実家はネットがつながっていない。。
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