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2008.12.05
恐怖は人を真面目にする

高山では標高3000m級の北アルプスの山々が晴れた日によく見えるが、それを見て恐怖を抱く友人がいる。自分には崇高で気高い存在として映るが恐怖の対象ではない。
由布院駅を降りると、真正面にラクダの2つこぶのような双耳峰をもつ由布岳が見えるのだが、自分にはこれが怖い。理屈ではないのだろうが、とにかく山との間合いが近すぎるのか、その峰の妖形にか、恐怖を感じる。夜などは街の灯りに照らされて、闇にぼんやり浮かび上がり、滅茶苦茶怖くてこの前、夜に見た時は本当に足早に走って逃げた。由布岳の視線から避けるように。
修験道などの山岳信仰の起源は間違いなくこのような恐怖から始まるものであろう。畏怖では生易しい、恐怖だ。でもその「恐怖」にはいろんなグラデーションやヴァリエーションがあったかもしれない。我々は山を地学的に語って安心しているが、それは一つの切り口にすぎない。山への恐怖は一元化されない世界の多様な解釈の可能性への道を開いてくれる。
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