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2008.12.24
木は人とともに。人は木とともに

先日記したクスノキのある学校は日岡小学校だった。知人に聞いたところそんなこのクスノキも校舎の増築のため刈られる危機にあったというから、人間の愚考には言葉を失ってしまうが、これらの愚考愚行を食い止める言葉をもたなければならない。
高山でも駅のそばにあった大きな桜の木がホテルかマンションの建設のためにあっさりと刈られたのには驚いた。その地にあるものを極力残していくのも「デザイン」の仕事ではないか。
古い木を刈ることにためらいや踏みとどまりをもつ感性はもはや教育によって後天的に習得されるしかないのだろうか。
木を切る前に祝詞をあげたり、斧を立てて神さまにお伺いをこう感性はもうない。
しかし、このクスノキは見れば見るほどホレボレする巨木だ。
今日も通りかかったら、校庭で児童たちが遊んでいてその明るい叫声をクスノキの木肌が吸い込んでいるように思えた。
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