| Home |
2009.05.02
社会の外側へ

学校というものは、つくづく「社会」から遠くにあればあるほど存在価値があるものではないかと思う。
幼稚園がいい小学校に入るためであってはならないし、高校がいい大学に入るためであってはならないし、大学がいい会社に入るためであってはならないと思う。
何者でもない無価値の尊さが許される社会。文学部や哲学科がそのうち大学から消える日も遠くないかもしれない。まったく社会的ではない学問の存在。
太田光が言うように、イラクで拉致された青年を「自己責任」という都合のいい言葉で殺してしまった日本(小泉)は、死んだ青年の馬鹿げた行動を社会の中に包含することができなかった。
「馬鹿げた」ことも内包できず、社会はどんどん小さくなっていく。
| Home |