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2009.09.25
ドゥナの瞳

映画「グエムル」のポン・ジュノ監督について調べていたら、
韓国女優のペ・ドゥナのブログに行き着いてしまった。
ハングルで埋め尽くされたブログって見た目美しい。
(グーグルで翻訳ができるのもすごい。ちゃんと訳せてないけど…)
僕は以前、韓国に旅行に行ってからというもの、
ハングルの記号美にある高いデザイン性に深く魅せられた人間の一人である。
http://blog.naver.com/hnpl46/
ペ・ドゥナのブログ。お国柄なのか、
日本の有名人の広報的なあたりさわりのないブログと全然違って、
生っぽいというか、自然体すぎて驚かされる。
すっぴんとか下着姿?とか平気で見せているし、精神不安定の率直な発露や
女友達への狂おしい感じの愛情表現を隠さない。
ほんとに他人の日記をのぞいているような感じすらある。
ソウルの街なんか歩くと、女の子同士は普通に手をつないでいて、
はじめびっくりしたことを思い出した。
まあ、こんなことを書きたくてペ・ドゥナのブログの話をしたわけではない。
ペ・ドゥナは写真愛好家でかつ日本が大好きらしく、よくお忍びで来日して
日本の風景を写真に残している。
その写真から立ち上がってくるものは、あきらかに外国人が見た異化された日本の写真で、
同じものを自分が撮ったらこうはならないことの不思議さに考えあぐねてしまう。
山手線内の写真だろうか?はじめ完全に韓国の電車内の写真だと思った。
自分が日本のなにかを撮れば、そこに「慣れ親しみ」といった成分みたいなのが溢れ、
外国人だと「もの珍しさ」みたいなものがその視線の根底に流れる。
無機物としてのカメラだが、そのファインダーから覗かれるまなざしによって、
あがってくるものは全く違うものになってしまう。
富士山を日本人が撮るのと、外国人が撮るのとではまるで違うものができてしまう。
写真でも映画でも。
それが不思議でたまらない。
「腰」みたいなものが座ってない感じと言えばいいのだろうか。
でも腰ってなんだろう。
その土地で生きていることの確信みたいなものだろうか。
でも確信って…。
光なのか?光の捉え方なのか?
ドゥナの瞳に捕らえられたジブリの森の日本語の文字が、
日本語でないように見える。
ハリウッド映画で出てくる、あるいは聞こえてくる日本語のように。
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