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2009.09.24
過去の新しさ

連休明けの仕事はさすがにしんどい。
意識は先走っていて、肉体がついていかないのか、
肉体が先走っていて、意識がついていかないのか、
それさえわからない。
でも人間働く動物だなとつくづく思う。
労働って誰が考えたのだろう。
これがなければ、人間が人間でなくなってしまう。
「懐かしい」という一挙に押し寄せる抗しがたい波のような感覚、感情とは一体なんだろうか。
YouTubeの信じがたいほど無尽蔵な過去のアーカイブ動画を横断して見ていると、「懐かしい」、「懐かしすぎる」という感情に圧倒されてしまう。
「思い出」とか「記憶」と呼ばれるものにはかなり膨大といってもいい層の厚みがある。映像から喚起されるのは、過去に自分が生きられた世界そのもので、あるひとつの出来事だけを思い出すということではない。
中学校の自分と小学校の自分、今の自分が感じる世界の手触りみたいなものは全然違う。
その柔らかいかたまりみたいなものが、連結してつながっているような過去の集積。
懐かしいことの迫力は、この過去の世界の手触りや質感といったものが、映像や音楽といったものを契機に「今、ここに」唐突に強引に到来してくることの凄みではないか。
その過去の世界のボリュームと現在がコンフリクトして呆然としてしまうのではないか。
予備校時代に「文學ト云フ事」という深夜番組があって、この構成や音楽にかなりハマっていてビデオテープが擦り切れるくらいに熱中して見ていた。
これをふとしたきっかけでYouTubeで出くわしてしまって、予備校時代の空気とか友人とか高揚感とか全てが再現されてしまって、どうしようもなく気持ちが高ぶった。
メインに井出薫という女優がいて、イデカオルという固有名詞を発話するのも10年以上ぶりなのであった。
過去はいつでも新しく、未来はいつでも懐かしい。
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