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2009.09.23 茶と死
tyashitsu , matsue


季節の変わり目のせいか、とにかく眠い。
人生限られているのだから、眠りを少なくして起きている時間を多くしたいと思うが、野口整体の体癖表によれば自分は眠りに充実感を覚える体癖らしく、どうしようもないようだ。
4,5時間で充分な人もいれば、8,9時間眠らないとどうしようもない人もいる。どちらがいいとか悪いとかではない。


茶道というものに長年関心があって、本を読んだり茶室を見たりしている。
実際に茶会に参加するまではいってないけど、形式的な縛りが少なくて男だけの茶会みたいなのがあったらいいのにと思う。
茶道はいまやお金持ちの奥様、お嬢様の芸事になっているけど、本来は戦場へ死にゆく武士を前に一期一会で対面し、お茶を点て、一服するというギリギリの場面でのもてなしの様式であった。
ちなみに茶道を確立した千利休も弟子の織部も山上も時の権力者に殺されている。そんな凄まじい世界であって、決して優雅なものではない。
戦国時代は当然、今より死は近いところにあって、虚無や無常、輪廻や再生といったものがリアルに認識されていただろう。そこに茶道という死をも包括した粋の極みが花開いていることに、いまさらながら「日本」というものの底知れなさに身震いする。

贅というものを、こういうところから語りたい。

それは死を前にして死を乗り越える、念仏ではない語る言葉があり、所作や沈黙、居住まい、美しい味や美意識といったものがあったということ。
そういったものは、自分も含めて、日本から失われたものかもしれない。

僕の敬愛する茶人 山上宗二は、自身の到達した茶道の信条を曲げることなく、秀吉に何度もたてつき、しまいに鼻と耳を削がれて斬首された。数年前、箱根湯本の早雲寺にお墓参りに行った。苔むし、蝉の声だけが聞こえていた。



茶道と死について考えていたら、死を待つ人々の家や特攻隊の人が最期に飯を食った食堂について思いが広がった。死を排除するのではなく包括できる社会が経済的な繁栄より本当の豊かさをもっている社会だ。

自分も死ぬときに茶道のような様式でもって、自分の死(生)と静かに向き合うことができたら、どんなにか素晴らしいことかと思う。やっぱり病院とか介護施設とかは嫌だなあ。


Souji Yamanoue , ohaka


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