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mada ki dearu



今日は風が気持ちよくて、土手を散歩していた。
母校の高校のサッカー部の練習を見る。

練習というのは受け身ではなんにもならない。
おそらくコーチや監督から指示された内容の練習をルーティーンのように
こなしているのが、強くなるための練習だと思っているのだろうけど、
いちいち考えて練習しないと、かえって弱くなるのではないかと思った。

中田英寿は自分が納得したことしか練習しなかったという。

サッカーでは同じ状況が訪れるのは試合で一度もない。
PKくらいだろう。
つねに応用する力が求められており、応用する力がなければ勝つことはない。
もちろん応用する基礎力が前提だけど。
それは、創造性といったこととも関わる。
そこを監督やコーチは刺激してやらないといけない。
完全にルーティン化した緊張感のない練習を見てたら、口を出したくなってしまった。




部屋を片づけていたら、映画「トラフィック」のビデオが出てきたので見る。
冒頭、15分くらいを見てみようと思っていたのだが、思わず引き込まれて最後まで見てしまった。

この地球上には「トラフィック」という題をもつ映画は2つあって、
ひとつは1971年製作のジャック・タチ監督のフランス映画。
もうひとつは2000年製作のスティーブン・ソダーバーグ監督のアメリカ映画。

前者はコメディ映画の名作のひとつだが、今回見たのは後者の方。

アメリカとメキシコを行き来する巨大麻薬組織との戦い。
複数主人公制による群像劇。
メキシコシーンのセピアの乾いた色調、ドキュメンタリー調の無理な編集の仕方、
国家と個人、死と信念、どれも新しいものではないが、
随所にソダーバーグらしい演出のアイデアが光る。
デル・トロがアメリカの捜査官とプールで打ち合わせするシーンは、
ひとつこの映画のラストにつながる核となっている。白眉のひとつ。

麻薬撲滅というなら、この映画をテレビはゴールデンタイムに放映すればいい。
日本でも高校や大学に麻薬汚染が広まれば、この映画のような高校生が増える日も近い。

それにしてもベニチオ・デル・トロの陰鬱さがかっこよすぎる。
男でも惚れてしまう。
ラスト10分間の日常描写には、ベタだと分かっていても泣けてくる。
スペイン語を勉強して南米を歩きたくなった。

ラテンのひとたちの、あの腰のくだけたようなユルさは
勤勉で神経症的な日本人にはなく、うらやましい。
でもかといって、学生が家と勘違いして電車の床に座られたりすると、
だらしなさに腹が立ってくる。
風土に適した生き方というものがあるのだろう。

沖縄なんか行くと玄関先に椅子を出して、お婆ちゃんお爺ちゃんが
一日中ボーと座っていて、ああ、こんなユルさの表現っていいなあと
思ってしまう。
ユルいのと品のないのは紙一重か。





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