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銀杏

近くの寺の坊主が、信者のお金を使って土地を買い漁り、借金まみれになって逃亡したという。
「世界」を下支えするものが激しく揺さぶられ、不安定になっている今に、宗教の役割というものがあるだろう。この現在がどうしようもなく生き辛くても、その存在を自殺に追い込むのではなく、避難所としてある空間や思想といったもの。どうしようもない存在も生きてもいいのだという、懐のある社会。
だがそれはシステムの外に存在しなければ、意味がない。通俗化、世俗化してしまっては宗教ではなくなる。ましてや、政治化し政権を担おうとする公明党、創価学会は宗教の存在理由をはき違えている。あくまで信じない者も救われる<外>にポジショニングしなければ。
ネットは社会の<外>になり得るか?なぜ「インター」がつくのだろうか?
僕はネットの精神性、宗教性を大いに肯定したい。
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