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2009.09.01
腐臭に色香あり

気温の低下とともに空気が乾燥していることに気付く。この乾燥した感じ、秋や冬のそれだなと思う。
季節は全身で感じ、生きられるもの。だから夏に冬のことを想起するのは難しい。でもそのとば口に立つと、うわっと季節の記憶がよみがえる。それに付随した喜怒哀楽の経験も呼び起こされる。
夏の残滓の余韻が体に響いている。だがそれも徐々に小さくなって。
この推移をじっと、身体で見ていく。あるいは聞いていく。鈴虫の声が徐々に徐々に小さく、少なくなって。
なにかを注意深く見つめる。
いきをひそめて。
そしてそれを記述すること。
花は枯れるというより、腐っていくというのが表現としてはふさわしい。
それを毎日じっと見る。
少しずつ、少しずつ、腐っていく。
じいっと見る。
色は褪せ、しわがれ、縮み、重力に落とされる。
自分も腐っていった。見るもの見られるものは同じだった。
腐っていくただ中にも色気があった。
じいっと見ていた。
夜中トイレで目が覚めて部屋を開けたら、薄明かりに腐っていくこの花が見えて、
立ち上がってる小さい幽霊のようで、松井冬子の日本画で見た幽霊や内臓を思い出した。
そう、これは、生命のはらわたなんだ。
永遠のなかに瞬間が、瞬間のなかに永遠が刻まれている。
以前歌舞伎座で見た、この世のものとは思えぬ坂東玉三郎の美しさをなぜだか今、理解できたような気がした。
***
イモトの24時間マラソン。人が苦しんでいるのを人は見たいという嗜虐をテーマにした番組。感動の押し売り。涙の押し売り。視聴者はなめられている。こんな感動を買ってはいけない。
ボロボロになったイモト。つくづくスポーツは体に悪いと思った。
NHKでリストカットの高校生のビデオ日記。
凄まじい自己否定感と孤独感、虚無感。それが薬の作用でさらに混濁し、加速し、悪化している。
誰からも必要とされていない絶望。明日が来ないでほしいという叫び。
こういった人たちに、奇跡的な一条の光を灯してきたのが他人の言葉とか文学とか音楽とか絵画とか映画とかだったのではなかろうか。芸術が現実に敗北してしまっている。
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