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2009.08.26
ヌガイエ・ヌガイから

「キリマンジャロは標高六〇〇七メートル、雪に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。その西の山頂は、マサイ語で“ヌガイエ・ヌガイ”、神の家と呼ばれているが、その近くに干からびて凍りついた、一頭の豹の屍が横たわっている。それほど高いところで、豹が何を求めていたのか、説明し得た者は一人もいない。」
『キリマンジャロの雪』ヘミングウェイ
この乾ききった文体にシビれつつも、「ヌガイエ・ヌガイ」という言葉がマサイ族によってどのように発語されているのか気になる。
ヘブライ語の「エリ・エリレマ・サバクタニ」以来の言ってみたくなる呪文のような異国語。これが既知の英語やフランス語ではいけない。
ぼそり、「ヌガイエ・ヌガイ」と言ってみる。
マサイ族の人と話してみたいと思った。
ヌガイエ・ヌガイ、ヌガイエ・ヌガイ、ヌガイエ・ヌガイ…。
日本語を未知の異国語のように聴いたり、書いたりすることを夢想する。
吉増剛造の詩に、その世界を見る。
(ヘンテコな改行あるがご容赦。以下引用)
「波のり神統記」吉増剛造
月は昇るさ
古代のように
墓に登って祈ろうじゃないか
太陰文月七日
ぼくは都会を脱出する
絶対の花弁!
おお
太陰暦を積んで北方へ航行する一隻の船よ!
もはや異教風な
歳時記の正義にかけて
ぼく・裸形・剣
進むか、否か
それは問題ではなかった
カナダライを叩け!
夢と現実の分離機は崩壊した
隠喩の王権を放棄し
犬のように
世界の傾斜を転落せよ!
まず
赤裸のアカ消去する算法の摘出、コレガ護符ダ、マジックだ!
絶対の花弁
と個人的な注解をつけて
超正常の人体が
人民日報の明朝活字を通過する輝かしい宵
狂気への彫刻刀は振りあげられた
スクリーンは赤だ!
ある日曜日
音もなく
ビルから落ちる人体よ
ぼくは
女のように
肌を磨いて
都市の東の城門に立つ
卵形の影像だ
惜しいとも
恥ずかしいとも
思うことはとうに終った
ただ
ぼくはふりかえり
憑かれたように 愛だ! 愛だ! と叫ぶ青年を美しいと思う
この夏の宵
世界ときみは幾何学的疑惑だ
きみと世界は抒情的奇蹟だ!
突然
ふり返って
バスをゆびさして
大蛇の群だ! と叫びたまえ!
そこから
本当の予言が始まるかも知れない
また
地下鉄に乗らずに
偉大なチャールズ・チャップリンのように、崖っぷちをスケートして、
夕陽に向って歩いてゆこう
きっと
アラビア数字の7のように
きみにも自殺の構造がよみがえり
金色の柔肌を螢が包囲して
その陣形のまま
肉体は爪先から腐上するだろう
言葉ケス力 太陽の崩壊
夢ケス力 太陽の再生
魂を叩け! 空を斬れ!
なまぬるい風が吹いてくる
陰毛へインクビンの集中が盛んだ
ああ 生きよか 笑わせるな
おお
パパラッツオ!
無名の人よ、消えた影像よ!
アイスキュロス風に壮大に
ものごとは考えられるべきだ
日ノ丸ニ風吹ケ!
エンジンよ! 第三京浜国道で燃えあがる神木のように絶叫する、
ガソリンの涙に、引潮
に、去ってゆく物質の後姿に、祭壇をもうけて踊り狂おうぜ、
緑の仮面つけて神のよう
に、涙を流して夜明けまで
夜明けまで
生命終るまで
論理的整合はポー
花のお江戸の金襴緞子
おお
ミシェール!
新しい神の仮面割れて
毒薬の一滴を
これら
赤裸の魂の発電所に空転の剃刀の矢羽根を、
言葉の戸口に永遠にかけられた雨傘濡らす数
学的肉体の存在を!
さらに大量のスカーフを
我々の魂の鍵盤に投下し、我々を狂気へ、流転する紫の花に変貌させたまえ
海へ
交叉する手の神殿へ
道路を剃刀で斬りながら、ドドッと吃って、アクセル踏んで、
ああ 死体に会いにゆこう
李白的快速は物質を変形させる
海へ
あるいは
金環蝕のような生涯
ああ ヨットはななめに通過する
いつもながら
新鮮なラジオの音だ!
あれがアメリカ
腐ったエレベーターが海底から立ち昇ってくる
ラッキー・ストライク、ジャスパー・ジョーンズの標的めがけて、
魂・飢餓の弓づるヒョーウと鳴って
今年こそ溺れてもよいと
心に決めた
鎌倉・由比ヶ浜
私小説的な単独行の水しぶき
なんという
青春は短剣のように握りつぶされ
海のなかの散水車
喜劇的な電源、血だまりへの落雷だ!
太腿よ!
太腿よ!
これは
太陽のしたの乞食劇か
それとも
お笑い、だけか!
しかし瘋癲病院は陸地に建てられるべきではなく、
青い青い海の中に放流されるべきだ
それが序の幕
X・Y・Z軸に裂かれる精神の波頭の、開闢の方位
永遠に浮游しよう
所有格なしの水母[くらげ]万才!
たまには金髪の少女を愛撫して
正面の鏡に性器をうつす
子午線上に魂をはこぶ真赤な神統記!
ああ 波に酔った
犯シタアノ娘[コ]ノ事ガ追憶サレル
どうして
同時に
予言者カッサンドラが脳裏にうかぶのだろう
いま砂浜で
詩一篇書きながら
絶対の花弁
と書いて……
ああ
歳時記を抱こう、もっとしっかり
多島[エーゲ]海に手足がしびれ
発光物質のように多声界が、肉のあらゆる空間を占領する
おお
ギターをたたきつけろ、砂浜に
ビートルズ・オルペウス・魂のハルモニア
空のむこうに
そびえている現実よ!
おお
ギターをたたきつけろ、砂浜に
ビートルズ・オルペウス
魂の鏡の部屋よ!
塩みちる、海亀の疾走!
ヴァレリに
<狂乱の性[さが]もつ大海原よ>
と頌えられた大滄溟[おおわだつみ]は
瀑布となって
ほかの遊星へ
直角に流出する
鐘が鳴る、水死体の浮上だ!
ガ泳ゲ!
ああ
海は長髪のようだ、流れにそって金魚鉢を透視する眼の回転!
ふたたび波頭に浮ぶ
王女の濡れた花弁、二枚
赤褌の交叉する心臓、ブラウン管の破裂!
ああ 言葉よ 自殺シタイ
イタシ殺自 殺シタイイ!
抜け!
男根と言語王国を!
ああ
神よ!
神よ!
神よ!
神よ!
神よ!
カッ!
井戸を落ちてゆく真赤な眼の声よ!
落着け
右のつぎは左だ
呼吸を忘れるな
船はくるか
歌は聞えるか
ふっと
涙がこぼれて
砂浜の人たちに
手を振ってみる
しかし
映画館のように
悲しげにひろがった
景色だなあ
太陽は西の岩角に落ちかける
もう
魂は言葉と交感しない
月は昇るさ
古代のように
とつぶやきながら
太陰文月
ぼくは
世田谷・駒場の箱宇宙にもどり
コカ・コラ壜、わたごみ、性欲の残照にかこまれて
静かに
風のことを考え
国木田独歩を読んだ
ただ
火の霊[タマ]の進撃!
ねむり
火の霊[タマ]の………
ねむり
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