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2009.08.25
不覚だぜい

湿っぽい、お涙頂戴、ドロドロ、日本海くさい、歌詞があり得ない、ダサイ、加齢臭がする、あのこぶしがどうにも生理的に受け付けぬ、などど昔友人と演歌の駄目さ加減を言い合っていた。
その頃、ジョン・ケージとかスティーヴ・ライヒの現代音楽とかを集中的に聴いている時期で、まるっきり演歌とは対極にいた頃だった。
その友人と鎌倉に遊びに行こうと、レンタカーを借りて稲村ヶ崎などを巡っていた。
当時自分は、免許を取り立ての初心者で運転することに神経を使いすぎて疲労困憊していた。
夜になり、暗くなると余計に神経を使って、疲労度は増していった。
持ってきたCDはリピートしすぎて、もう聴き飽きてしまっていたのでラジオをつけることにした。
するとある演歌が不意にそのラジオから流れてきた。
2人ともチューンを変えずに、そのまま聴いていた。
自分はその時、その演歌が疲労困憊した神経と身体にとても心地よく響いてくるのを感じていた。
つまり、、癒されていた。
でもそれを必死に隠そうとした。でも癒されていたので、ラジオはそのままにしていた。
友人も黙って聴いていた。
遂に自分は口に出した。
自分「演歌って、、しみじみするんだなあ…」
友人「やっぱり、おれたちは日本人だってことを否定できないんだよ!」
自分「(やっぱり、あんたも感嘆していたのか)そうだなあ…日本人かあ…演歌か…」
それから以来、演歌を特別な感情で聴くようになった。CDを買うまではいかないけど。
なぜあの時の自分の身体の芯に、ド真ん中に響いたのか、、それは他の音楽のジャンルでは駄目だったのだ。
それと連動するかのように、昭和の時代に強い郷愁を抱くようになった。
磯崎憲一郎の『眼と太陽』のなかに、海外で演歌を聴いた時の感慨が綴られてあって、シチュエーションは違うものの、自分が鎌倉、湘南で演歌を聴いた感触と似たものが書かれてあって驚いた。
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テレビではるな愛が霊能者に浄霊を受けている。悶絶しているはるな愛。相当深刻な場面なのに、笑えてしまって仕方がない。
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