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yukisugi

自分は霊的な感覚がなくて悔しい思いをしているのだが、あれはなんだったのだろうかという不思議と思える体験はいくつかしている。
僕は浪人時代、東京の恵比寿で日経新聞の新聞奨学生をやって学費を稼いで予備校に通っていた。朝3時に起きて朝刊を配り、6時半頃に帰り朝食を済まし、河合塾に通い、帰ってまた夕刊を配達する。休みの日は集金活動をする。そんな地獄の日々だったけれど、19歳という若さで田舎から出てきた東京は輝かしく、地獄の日々ながらも青春を謳歌していたと思う。
そこは寮生活になっていて、僕と同じように全国から集まった若者がそれぞれの青い志を抱き同じ空気を吸い、同じ飯を食って過ごしていた。皆怖いものはなく、前には希望しか考えられなかった世界観を共有していたと思う。いま思い返しても財産の経験だったと思う。

それから晴れて自分は第一志望校に合格し、新聞奨学生を卒業し恵比寿を離れ、学生生活を送った。渋谷や代官山には行っても再び恵比寿を訪れることはなかった。
離れて6、7年は経ったぐらいの頃、なんだか無性に無性に恵比寿に行きたくなった。なにかこみ上げてくるような抗いがたい衝動にかられ、恵比寿へ向かった。ガーデンプレイスなど歩いているとふと、あの寮は、壁のシミまで覚えているあの寮はどうなったのだろうかと思い立ち、寮へ向かった。

そしたら、なんとなんと取り壊しの真っ最中だった。壁面が重機で取り壊されて、自分のいた部屋がむきだしになっている真っ最中だった。呆然、唖然としてしまったが、なぜかもっていたカメラで撮ることが、自分の過去にたいする最大の感謝というか、供養みたいな情感にとらわれシャッターで撮り続けた。

この体験を偶然と呼ぶのは簡単だけど、そうとは呼べない強度が体験者である自分にはあった。
寮の建物と自分が紐帯で結ばれていたのにちがいないと考える方が自然だった。
私にも記憶があるように、あの寮にも記憶があったのだ。
そのとき僕は、この寮の最後に自分だけが呼ばれたような気がして、勝手な優越感を感じていた。
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