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meiji

NHKで戦後、旧海軍の軍人が太平洋戦争についての反省会をしている番組をやっていた。
反省というのはつねに事後的になされるし、視点がアフターなものになる。
過去については停止した視点で自由に様々に語れ反省できる。それは必要なことであろう。けれど、狂騒である〈現在〉、あるいはあの時になぜあたりまえの思考ができなかったのかという視線がなければ、また同じ事を繰り返す可能性は高い。
過去についての反省は様々なノイズが消されたうえでなされたもの。でもその些末なノイズこそが、われわれの人生を翻弄してはないだろうか?
僕は太平洋戦争に突入していった日本の文献を読むたびに、この抗し難いノイズについて考える。さまざまにこの戦争についての検証がなされているものの、ほとんどが原因と結果を取り違えているのではないかと思うことがある。
風邪をひいたから熱が出たのでなく、疲労が蓄積されていたり、さらにその疲労が蓄積された元をたどったりしなければ、本当の因はつかめない。
僕はある大手企業に勤めていたことがあるのだけど、ここには独特な空気があって、例えばある意見が主流になった時にそれを反対するのはかなり難しい空気があって、この空気について思考するのはもちろんだけど、その空気を感じ取る感性についても考えないといけない。

僕はKYと呼ばれる空気がよめない人間が実は好きで、重要な存在だと思っている。
KYこそが、新しい世界を創造できる。
あの戦争は単純にKYがいなかったもしくは少なかったからに他ならないと言えば乱暴だろうか。だったらどうしたらKYの人間が育つのか増えるのかを自分は思考したいと思うのだ。
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