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2012.02.29
持ちこたえ
閏年に生まれた同級生は9歳になったのかな。
閏年とそうでない年での誕生日の迎え方、感慨は違うのだろうかな。
女性ファッション雑誌の多くがゴムバンドで結わえられている。
いつのころからか付録がつくようになり、
いまではほとんどが付録目当ててで雑誌を買うようだ。
つまり雑誌の記事はついでということで。
これは相当まずいことだと思う。
寒さのなか野山の裏からまだ硬質なウグイスの一声がきこえた。
空気が引き裂かれ、その後広がりをもった。
二度ほど啼いて、黙られた。
ひとつの線はひとつの裂け目である 荒川修作
pina
閏年とそうでない年での誕生日の迎え方、感慨は違うのだろうかな。
女性ファッション雑誌の多くがゴムバンドで結わえられている。
いつのころからか付録がつくようになり、
いまではほとんどが付録目当ててで雑誌を買うようだ。
つまり雑誌の記事はついでということで。
これは相当まずいことだと思う。
寒さのなか野山の裏からまだ硬質なウグイスの一声がきこえた。
空気が引き裂かれ、その後広がりをもった。
二度ほど啼いて、黙られた。
ひとつの線はひとつの裂け目である 荒川修作
pina
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2012.02.23
ぼくはまだ
急な日射の熱さ。
でも気温からすれば、きっと初冬くらいの寒さはあるのだろう。
初冬の時のとつぜんの寒さに気が滅入ることもあったが、
今日の体感は幸福な訪れのようだった。
体感があくまで差異によるものでしかないなら、
結局なやみであるとかかなしさ、あるいは未来や過去といったものも、
全く違ったふうにとらえることが出来るだろう。
小島信夫の『私の作家遍歴』を読むと、自分の人生の残された時間の短さに戦く。
藝術というもの大きさ長さ。
切実に藝術は長し人生は短しが迫ってくる。
ぼくは何回生まれ変わればこの叡智になることができるのか。
でもこの絶望はこんなにもよろこばしい。
この書物の提示した大きさに触れていることでなんとか生きながらえることができるようだ。
サルトルはナチス占領下のパリがいちばん自由だったと語る。
彼は情熱のおもむくままに、日本に帰化して、小泉八雲と名のった。しかし彼は、夢から醒めると、間違ったことをしたのを悟った。『日本事物誌』チェンバレン
もっと遠くへ行きたい。もっと、もっと。
でも時間がない。
でも気温からすれば、きっと初冬くらいの寒さはあるのだろう。
初冬の時のとつぜんの寒さに気が滅入ることもあったが、
今日の体感は幸福な訪れのようだった。
体感があくまで差異によるものでしかないなら、
結局なやみであるとかかなしさ、あるいは未来や過去といったものも、
全く違ったふうにとらえることが出来るだろう。
小島信夫の『私の作家遍歴』を読むと、自分の人生の残された時間の短さに戦く。
藝術というもの大きさ長さ。
切実に藝術は長し人生は短しが迫ってくる。
ぼくは何回生まれ変わればこの叡智になることができるのか。
でもこの絶望はこんなにもよろこばしい。
この書物の提示した大きさに触れていることでなんとか生きながらえることができるようだ。
サルトルはナチス占領下のパリがいちばん自由だったと語る。
彼は情熱のおもむくままに、日本に帰化して、小泉八雲と名のった。しかし彼は、夢から醒めると、間違ったことをしたのを悟った。『日本事物誌』チェンバレン
もっと遠くへ行きたい。もっと、もっと。
でも時間がない。
2012.02.18
日本最大の喧嘩
保険のパンフレットを読んでいたら「騒擾(そうじょう)」という言葉に出くわす。
なぜかデモのイラストが描かれてあったけど。
鶴見騒擾事件
がっつり寒いときに、暴走族は走っているような気がする。
がっつり寒いときに、超がつくほどのミニスカートをはいている女性。
あるいは大寒時の早朝稽古や、裸になっての禊ぎの神事。
これらはなにか通底しているものがある。
しかし温暖化が聞かれなくなった。
暖冬だと温暖化が声高に叫ばれるっていうのはなんかちがう。
地球という大きなものと身体的実感がそう簡単にリンクするものだろうか。
地球寒冷化問題?
それでもクジラやイルカは岸へあがろうと…
メタンハイドレードの発掘に夢をあたえるような言説があるが、もういいんじゃないのかって思う。
拡大していく社会はもうだめやろ。原発もリニアもメタンも人生も同じになってしまっている。
立って半畳、寝て一畳って良い言葉だ。それで満足する智慧を。
大きな手術の現場というものは激しい罵声が飛び交うような修羅場らしい。
天才無免許医師
NHK。
マイケル・サンデルとシャパネットたかたの社長の組み合わせが素晴らしい。
でもこの企画で一番成功しているのはマイケル・サンデルの吹き替えを担当する声優の選択だろう。
なぜかデモのイラストが描かれてあったけど。
鶴見騒擾事件
がっつり寒いときに、暴走族は走っているような気がする。
がっつり寒いときに、超がつくほどのミニスカートをはいている女性。
あるいは大寒時の早朝稽古や、裸になっての禊ぎの神事。
これらはなにか通底しているものがある。
しかし温暖化が聞かれなくなった。
暖冬だと温暖化が声高に叫ばれるっていうのはなんかちがう。
地球という大きなものと身体的実感がそう簡単にリンクするものだろうか。
地球寒冷化問題?
それでもクジラやイルカは岸へあがろうと…
メタンハイドレードの発掘に夢をあたえるような言説があるが、もういいんじゃないのかって思う。
拡大していく社会はもうだめやろ。原発もリニアもメタンも人生も同じになってしまっている。
立って半畳、寝て一畳って良い言葉だ。それで満足する智慧を。
大きな手術の現場というものは激しい罵声が飛び交うような修羅場らしい。
天才無免許医師
NHK。
マイケル・サンデルとシャパネットたかたの社長の組み合わせが素晴らしい。
でもこの企画で一番成功しているのはマイケル・サンデルの吹き替えを担当する声優の選択だろう。
もう、たぶんずいぶん前から、花粉が飛んでいるのではなかろうか。
数あるうちのひとつだけ蜜柑に青黴がびっしりと生えてしまった。
ちょっとでも触れるとほんとに鮮やかに胞子が飛散する。
ワキガの人がワキガの人の陰口、自分の匂いってわからないんだよな、と
言っていた、おぞましい光景に立ち会う。
陰口や愚痴を言い続ける人の心境がわからない。
ネットでも匿名や顔が見えないからといって罵詈雑言を浴びせるのがわからん。
そういうのは無料だと思ったら大間違いでは。
あとでしっかり請求されますよ。
過ちしか犯さない世界の住人の一人として、来る日も来る日も今日に至るまで、この虹を、この夕暮れの時間帯を、この季節を、この光と風を逃し続ける人生を私は送ってきたのだから。今、自分の目の前にあるものを逃すことはもはや許されない。『過去の話』磯凬憲一郎
ドストエフスキーのような眼差しでかれらを見るためにはどうしたらよいだろうか。
数あるうちのひとつだけ蜜柑に青黴がびっしりと生えてしまった。
ちょっとでも触れるとほんとに鮮やかに胞子が飛散する。
ワキガの人がワキガの人の陰口、自分の匂いってわからないんだよな、と
言っていた、おぞましい光景に立ち会う。
陰口や愚痴を言い続ける人の心境がわからない。
ネットでも匿名や顔が見えないからといって罵詈雑言を浴びせるのがわからん。
そういうのは無料だと思ったら大間違いでは。
あとでしっかり請求されますよ。
過ちしか犯さない世界の住人の一人として、来る日も来る日も今日に至るまで、この虹を、この夕暮れの時間帯を、この季節を、この光と風を逃し続ける人生を私は送ってきたのだから。今、自分の目の前にあるものを逃すことはもはや許されない。『過去の話』磯凬憲一郎
ドストエフスキーのような眼差しでかれらを見るためにはどうしたらよいだろうか。
2012.02.14
感動すると疲れない!!
ここからAという地点に向かうとする。
単にAに向かった場合とBやCやDへ向かうべきか迷ったあとにAに向かったことは、
結果Aにたどりついたとしても全然違うものだと思う。
こういう考え方は重要だと思う。
つかんだものを手放したとしても、それは最初から無かったこととは違う。
でも世の中はずいぶんこういう考えを否定しているところに依っていると思う。
アマゾンから届いた本がずいぶん煙草くさい。
たぶん、運送会社の車内で思いっきり吸っているのだろう。
届いた本をすぐにでも徹夜でもして全部読みたい。
あれも読みたい。これも読みたい。
読んでいけば読んでいくほど、読むべき本は増えていく。
知っていけば知っていくほど、知らない領域が拡大していく。
ドゥルーズの『批評と臨床』が圧倒的すぎて、息をするのが苦しいくらい興奮する。
ぼくはココだ!と思った箇所に線を引く癖があるけど、ほとんど全部の文章に引いてしまっている。
いったいどんな健康があれば生を解放するに充分なのだろうか ドゥルーズ
文学としての健康、エクリチュールとしての健康は、欠如している一つの民衆=人民を創り出すことに存する ドゥルーズ
二十七歳の強壮な男は…彼はペトロパヴロフスク要塞監獄に八ヶ月いるあいだも胃や痔を悪くしたようだが、大してへばらなかった。狂ったものもいたが、そういうことはなかった。そのかわり小説を二つばかり書いた。それが健康法だったともいわれる。そういうふうにいうなら、彼のシベリア監獄での生活や、彼の全生涯についてもそうだということも出来る。『私の作家遍歴』小島信夫
自我の世紀
単にAに向かった場合とBやCやDへ向かうべきか迷ったあとにAに向かったことは、
結果Aにたどりついたとしても全然違うものだと思う。
こういう考え方は重要だと思う。
つかんだものを手放したとしても、それは最初から無かったこととは違う。
でも世の中はずいぶんこういう考えを否定しているところに依っていると思う。
アマゾンから届いた本がずいぶん煙草くさい。
たぶん、運送会社の車内で思いっきり吸っているのだろう。
届いた本をすぐにでも徹夜でもして全部読みたい。
あれも読みたい。これも読みたい。
読んでいけば読んでいくほど、読むべき本は増えていく。
知っていけば知っていくほど、知らない領域が拡大していく。
ドゥルーズの『批評と臨床』が圧倒的すぎて、息をするのが苦しいくらい興奮する。
ぼくはココだ!と思った箇所に線を引く癖があるけど、ほとんど全部の文章に引いてしまっている。
いったいどんな健康があれば生を解放するに充分なのだろうか ドゥルーズ
文学としての健康、エクリチュールとしての健康は、欠如している一つの民衆=人民を創り出すことに存する ドゥルーズ
二十七歳の強壮な男は…彼はペトロパヴロフスク要塞監獄に八ヶ月いるあいだも胃や痔を悪くしたようだが、大してへばらなかった。狂ったものもいたが、そういうことはなかった。そのかわり小説を二つばかり書いた。それが健康法だったともいわれる。そういうふうにいうなら、彼のシベリア監獄での生活や、彼の全生涯についてもそうだということも出来る。『私の作家遍歴』小島信夫
自我の世紀
2012.02.08
過負荷
詐欺師は詐欺を働こうという意思によってみずから崩壊する。
欲のない詐欺師というのがいたら、その詐欺は全うできるだろう。
でもそのときは、詐欺師ではなくなる。
詐欺師を何度か目にしたことがある。
共通している口ぶりや目つきに病的なものを見てとれる。
人を不安にさせ、隙あらばお金を掠め、自己保身には余念がない。
つねになんらかの交換条件を要求してくる。
完全なる自己正当化の砦のなかで、みずから省みるは微塵もなく自身をも欺いていく。
現実の事象のお尻を追いかけているだけの詐欺師は薄っぺらいが、
現実を創造できる詐欺師はあるときから改革者となるのだが。
詐欺師をも許容し含み込んでいるこの世界の大きさに救われもする
顛倒。
食っていけなかったらどうするんだとか、
ロマンだけでは食っていけないとか、
そう言われると抗しがたい言葉がこの世界には数々ある。
そう言われたときのとっておきの返しがあるはずだったが、忘れた。
成瀬巳喜男『流れる』をDVDで。
映画製作のあらゆる幸福な条件が整っていたなかで、なおかつそれに自足することなく、監督スタッフ役者全員が幸福に響き渡って撮られた映画の栄華。
しばしば芸術家は悪条件によりて最高のものを創造できたりするものだが、
これはなんか、全部が良い方向に加速してしまった奇蹟を見るようで。
最高の食材を最高の料理人が最高の器で盛りつけたのを、腹ぺこになって何食ってもおいしいと感じるときに食べてしまって、なにが最高なのかわからなくなってしまったくらいの映画。
田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、栗島すみ子…名前を列挙するだけでため息が出る。これだけの人物を短時間でほぼ同等の重さで描き分けることは今の監督や役者にはできないだろう。せいぜい服装なんかで色をつけるくらいだ。説明することと描写することは違うんだよ!!
杉村春子の大粒の涙とか酔って踊って突然嘔吐するシーンとかあっさりと戻ってくるところとか、本当に見てはいけないものを見てしまっている感覚を呼び起こす。これは映画のなかで進行している出来事だから…ではすまされない切迫さをもって。だからスクリーンからこっちまでがすごく薄い。子供が夢中でアニメなんか見て、主人公が襲われたりするシーンに入り込んで本気で助けてって願うような切迫感と同じ。学生の頃、何度も見たはずだが、初めて見るようだった。関係ないが高峰秀子のおっぱいは日本人離れしていてどうしても目がいってしまうが、芯のはいった演技の熱に魅せられてそんなこともどうでもよくなった。
ねこ
うさぎ
欲のない詐欺師というのがいたら、その詐欺は全うできるだろう。
でもそのときは、詐欺師ではなくなる。
詐欺師を何度か目にしたことがある。
共通している口ぶりや目つきに病的なものを見てとれる。
人を不安にさせ、隙あらばお金を掠め、自己保身には余念がない。
つねになんらかの交換条件を要求してくる。
完全なる自己正当化の砦のなかで、みずから省みるは微塵もなく自身をも欺いていく。
現実の事象のお尻を追いかけているだけの詐欺師は薄っぺらいが、
現実を創造できる詐欺師はあるときから改革者となるのだが。
詐欺師をも許容し含み込んでいるこの世界の大きさに救われもする
顛倒。
食っていけなかったらどうするんだとか、
ロマンだけでは食っていけないとか、
そう言われると抗しがたい言葉がこの世界には数々ある。
そう言われたときのとっておきの返しがあるはずだったが、忘れた。
成瀬巳喜男『流れる』をDVDで。
映画製作のあらゆる幸福な条件が整っていたなかで、なおかつそれに自足することなく、監督スタッフ役者全員が幸福に響き渡って撮られた映画の栄華。
しばしば芸術家は悪条件によりて最高のものを創造できたりするものだが、
これはなんか、全部が良い方向に加速してしまった奇蹟を見るようで。
最高の食材を最高の料理人が最高の器で盛りつけたのを、腹ぺこになって何食ってもおいしいと感じるときに食べてしまって、なにが最高なのかわからなくなってしまったくらいの映画。
田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、栗島すみ子…名前を列挙するだけでため息が出る。これだけの人物を短時間でほぼ同等の重さで描き分けることは今の監督や役者にはできないだろう。せいぜい服装なんかで色をつけるくらいだ。説明することと描写することは違うんだよ!!
杉村春子の大粒の涙とか酔って踊って突然嘔吐するシーンとかあっさりと戻ってくるところとか、本当に見てはいけないものを見てしまっている感覚を呼び起こす。これは映画のなかで進行している出来事だから…ではすまされない切迫さをもって。だからスクリーンからこっちまでがすごく薄い。子供が夢中でアニメなんか見て、主人公が襲われたりするシーンに入り込んで本気で助けてって願うような切迫感と同じ。学生の頃、何度も見たはずだが、初めて見るようだった。関係ないが高峰秀子のおっぱいは日本人離れしていてどうしても目がいってしまうが、芯のはいった演技の熱に魅せられてそんなこともどうでもよくなった。
ねこ
うさぎ
2012.02.05
Y字バランスとI字バランス
I字バランスとはただの棒立ちのことではない。
凍てついて地面も硬い。身体も硬い。
ああ、これは尋常じゃない寒さだと外のトイレに行くたびに遠藤さんは声を漏らす。
トイレが凍結したことも知らず、遠藤さんはウンコを遺した。
蝋梅の香りが寒さにあらがっている。
寒いと香りは拡がらないイメージがあるけど。
窓辺にいれば陽光が強烈なときもあり。
蝋梅はほんと蝋細工のようでじぶんは騙されているかもしれない危惧をいだく。
信じがたいほどの田舎に住んでいた母は子供の頃キツネに蕎麦をいただき、
食べたらミミズだったという話をよくする。
以前、林の樹の間から冴え澄み切った月を見たときに、
ああ戦国時代に敗残して逃げてきた武将、あるいは名もないつわものも、
これと同じ月を見たんだなあと唐突に思って、泣けてくるような感慨を抱いたことがあった。
人は恢復する方向をもっている。
傷口がかさぶたになって皮膚が再生していくよう、癒えるよう、そのような方向をもっている。
村上春樹のいう、「物語は癒やし」という言葉。
でもそれが安易な癒やされ方であるなら、人生も安易なものになってしまう。
そこまで考える人は少ない。
通俗的な新興宗教のように。あるいは占いのように。
人生に無益なこともあれば、有益なこともあるとした場合にそれはどのように判別されうるのか。
経済の話にだけなってしまうのなら、自由というものはどこにもないことになってしまう。
生きづらいという一点において、それが唯一の生き甲斐ではないか。
幸福とか不幸とかいったことも、たとえば順風満帆でストレスフリーであることが幸福なのではあるまい。
虹が出ているときだけ自分と和解できるといったこともある。
失敗や不幸や歓びやらを全然ちがった形でとらえなければいけないと思う。現代人は全員。
非常に困難なものに取り組みたい。
はじめからすべてが失敗だったとしても。
凍てついて地面も硬い。身体も硬い。
ああ、これは尋常じゃない寒さだと外のトイレに行くたびに遠藤さんは声を漏らす。
トイレが凍結したことも知らず、遠藤さんはウンコを遺した。
蝋梅の香りが寒さにあらがっている。
寒いと香りは拡がらないイメージがあるけど。
窓辺にいれば陽光が強烈なときもあり。
蝋梅はほんと蝋細工のようでじぶんは騙されているかもしれない危惧をいだく。
信じがたいほどの田舎に住んでいた母は子供の頃キツネに蕎麦をいただき、
食べたらミミズだったという話をよくする。
以前、林の樹の間から冴え澄み切った月を見たときに、
ああ戦国時代に敗残して逃げてきた武将、あるいは名もないつわものも、
これと同じ月を見たんだなあと唐突に思って、泣けてくるような感慨を抱いたことがあった。
人は恢復する方向をもっている。
傷口がかさぶたになって皮膚が再生していくよう、癒えるよう、そのような方向をもっている。
村上春樹のいう、「物語は癒やし」という言葉。
でもそれが安易な癒やされ方であるなら、人生も安易なものになってしまう。
そこまで考える人は少ない。
通俗的な新興宗教のように。あるいは占いのように。
人生に無益なこともあれば、有益なこともあるとした場合にそれはどのように判別されうるのか。
経済の話にだけなってしまうのなら、自由というものはどこにもないことになってしまう。
生きづらいという一点において、それが唯一の生き甲斐ではないか。
幸福とか不幸とかいったことも、たとえば順風満帆でストレスフリーであることが幸福なのではあるまい。
虹が出ているときだけ自分と和解できるといったこともある。
失敗や不幸や歓びやらを全然ちがった形でとらえなければいけないと思う。現代人は全員。
非常に困難なものに取り組みたい。
はじめからすべてが失敗だったとしても。
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