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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。の言葉に頷く。




朝起きたら霧の世界。
なにもかも乳白色に優しく染まり、人も音も霧に吸い込まれていく。
覚醒のなかで夢を生きられる身体。
近いが遠く、遠いが近く。


夢の中で浮遊していた。
ずっと以前から空を浮遊する夢を何度も見ていたことに気づいた。
両腕をぱたぱたとペンギンのように動かすと体が徐々に浮き上がってくる。
いつもはせいぜい2,3メートルくらいだが、
今日は風が強かったせいで電線の高さを軽々と越え、電柱がはるか下の方になってしまい、
怖くなって無理矢理降りていった。
この浮遊が幽体離脱なのかどうかがよくわからなく、
体から抜けている時は別の者が入ってくるということを昔聞いたことを思い出して、早く戻ろうと焦った。
目覚めたときは腰のあたりが熱く痺れていて、ここから魂みたいなものが出入りするのかなとも思った。


夢ならば計画が実現されつつあったり運気の上昇が見られたり、あるいはしがらみに苦しんでいるという解釈ができるらしい。いい方にとらえよっと。


阿部和重と川上未映子の結婚はけっこう衝撃的だった。
ふたりともリコンしたんだな。


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平野勝之監督「監督失格」が凄すぎた。。
見終わって時間が経てば経つほど衝撃の波がつぎつぎやってくる。
ちょっと、どうしていいかわからない。
この衝撃をなだめて抑え込むことはできるかもしれないが、
それが正しいことかわからず、いまはこの衝撃をちゃんと受け止めたい気がする。
無意識が開放されたのか、昨日は変な夢をたくさん見た。(以下ネタバレあり)


この映画の衝撃はかつて愛した人の遺体を発見する現場が映像として残されていることだけにあるのだろうか。
それだけなら、動画サイトとかで見られる衝撃映像のたぐいと変わりはない。

小津は「映画は人間の感情がきちんと描かれていればいいんです」とよく言ったそうだ(確か)。
そういう意味でこの映画は感情がきちんと描かれている。端的に。
誰もが皆、泣き笑い怒り悲しみ絶望する。
その振れ幅の激しさにこの映画を見ている間中ずっと向き合うことになる。

監督は「撮らされた」作品としてこの映画をとらえている。
そういう他律的な感覚がこの映画の抱え込んだ世界を大きくしている。
その大きさに監督自身が翻弄されている。
いちおう、監督の「再生・復活」ということで作品のケリがついた形になっているが、
そんなところに落ちる作品ではなかろう。

その「大きさ」あるいは「大いなるもの」から目をそらすために、
カット割りや編集、音楽といったものがあるのだろうとふと考えた。

この映画が2時間ではなく3時間の作品なら、
その「大いなるもの」の背中がはっきりととらえられたかもしれない。

ああそれにしても由美香の葬儀のシーンはカメラを回して欲しかった。
過去の男たちが棺を運ぶ奇蹟のようなシーンが見たかった。静止画ではなく。



ちょっと倍率をかけると、もう小説という内部は現実という外部と断絶するんですがね。
森敦『対談・文学と人生』


『監督失格』予告編


上げ底靴のキャッチ・コピー。
誰にも気付かれずに、、背をのばしたい。整形したい。変身したい。
つまり、あたかもそれがすでに与えられていたものとして。


急激に寒くなる。
外界の変化よりも自分の悪寒なのではと疑うほど変化についていけてない。
思わず暖房をつける。


活躍しているプロ野球選手のほとんどが自分より年下なことに気付いた。
横綱だってそうだ。


車で聴くAMラジオ。
ある飲食店の前を通過するといつも韓国(北朝鮮?)の放送が混じってくる。


研修のためある有名ホテルへ出かけた。
そこのきびきびしたホテルマンの所作が美しかった。
つがれたただの水が高級な美味しい水に思えてきた。


クレーマー対応の研修で講師が言った。
「人は長い間怒り続けることはできない」



砕かれた大地に、ひとつの場処を  佐々木中


金曜日 記憶がない。

土曜日 無理矢理休んで本を読む。ボルヘス『不死の人』、森敦『マンダラ紀行』が届く。

日曜日 仕事に出る。

月曜日 寒さは孤独に直結すると思う。暑さにはどこか楽天性がつきまとうんじゃないか。

火曜日 お客さんにこっぴどく叱られる。痛いところをつかれる。自分が悪かった。

水曜日 昔仲の良かった仲間たちにつまはじきにされる夢を見て、おののきのうちに目覚める。

木曜日 若い女性一人で営むラーメン屋で豚骨ラーメンをすする。
    彼女は知らない男性客が来ると、防犯上のためだろう、
    一人なのにあたかも二人いるような芝居をする。
    メニューを厨房でひとり繰り返したり、
    できあがりを相方がいるかのごとく呼びかけたり。
    それを聞いているといつもラーメンを食べながら涙が出そうになる。
    アスファルトが濡れていいにおいがしてホッとする。
    

私はあえていうが、労働そのものは有害であり、破滅的である。というマルクスの経哲草稿に書かれてあるセンテンスを時折思い出した。そんなことはないと、どこかで思い込みたいけど。もちろん労働は低空飛行すれすれの精神修行だ。しかも車輪のない飛行機の。でも大丈夫だ。無事に誰も死ぬことなく着陸する。そのときの賛歌を楽しみにしている。


Cold play - viva la vida

エベレストに残されたご遺体(閲覧注意)

20代を過ぎて、30代、そして半ばにくると、自分が時間(過去?)を持っていることに気づく。

つまり、10年とか15年とかの時間の塊を自分が抱え込んでしまっていることに気づく。

もっと、すなわち老いていっている。

たとえ10代でも時間を抱え込んだ者はきっと老いていっているにちがいない。

こんなこと以前は考えたこともなかった。

停滞しているのか転がっているのかよくわからない。

でも老いることにかすかな希望を抱いているのはまだ若いと言えるのかもしれない。

今読んでいるのが森敦の『月山』という作品。60歳くらいのときに書かれた傑作で老いということが書かれているわけではないけど、自分の頭の中に老境の彼が読んでいる間中そばにいる。だからこんなこと考え始めたのかもしれない。そもそも。

いやそもそもは、60過ぎたうちの社長が最近とくに物忘れがひどく周囲を唖然とさせてしまうこと度々であるからだ。


* * *




すでに老いた彼女のすべてについて語らぬために 青山真治


一九六八年。わたしにとって、文字どおり指で触れるように老年が訪れた年 ミシェル・レリス





良い夜を


絹と


日付で1が並んで気持ちが高揚していうわけではないが、
きょうは趣向を変えて物的狂騒の話をしたい。


万年筆のインク色はブルーブラックが最近はお気に入り。
紙への定着による変化なのだろう。書いている時としばらく経った後とで色の変化があるのもうるわしい。紙の種類によっても書き味が全然違う。ペン先が紙に擦れる音は書家の石川九楊氏の言う「筆触」という言葉を想起させる。万年筆にこり始めると次は紙の探求にも進みそうでこわい。

…と書くことの快楽を語りながら、今日は打つことの快楽「ポメラ」というデジタルメモについて記述したい。
たまに物欲が爆発するときあり、これが欲しいと思ったら寝ても覚めてもそのブツについて考えている。
ポメラはある雑誌で中沢新一氏が使っているのを見て、ゲッ欲しいとヨダレがたれた。ホテルでポメラを使ってアースダイバーとか書いている姿がめちゃくちゃかっこよかった。

ポメラはファイルで有名なキングジムから出ている、ただメモするだけの機械。
開けばぱっと起動し、閉じれば自動的に保存される。
ネットもカメラもメールもない。ただこれだけの機能に特化していることに感動した。

最近スマートフォンを初めとする多機能性がウリとなる傾向の世情に大いに疲れていた私は、
ポメラと出会い、これだと思ったんだ。(さいきんは人の経歴や身体的特徴や趣味もスペックと呼ぶようだ)

しかしポメラにはいくつかシリーズがあってどれも長短ありで、選ぶのが難しい。
そして最近やっとDM10を買おうと決心がついたところに、DM100という新機種最強ヴァージョンが新発売することが判明。長考の末の決意はまた振り出しに。。おお。


マワシモノみたいだけど。これがDM100です。高いなあ。。。。。
外出先で長い文章をよく書かれる方にオススメ。
でも一番のオススメは万年筆に手帳だけどね。あっは。

ポメラDM100
ポメラ


「自分が誰なのか、すごく気になる」

記憶喪失で保護された男性が自分の情報提供を呼びかけていた。

私の知らない私、のことを知っている、誰か、を探す。

苦しいのだろうか。むしろ楽しいのではないかと他人ごとのように夢想する。


「ホラ、ぼくは記憶からできてできて、どうして記憶から脱れることができるか、なやんだくらいだったからね。」
『別れる理由』小島信夫


雨が続く。

最近、ラミーサファリという低価格で出している万年筆を買って、

メモ帳に意味もなくつらつらつらと文字を書いて書き味を楽しんでいる。

ボールペンがなぜ存在する必要があるのか不思議に思えてきた。

万年筆の滲むインクの文字の素晴らしさにうっとりしていると、

学生の頃よく手紙をくれていた女性を思い出した。

その手紙の文字も滲んでいたから、今ふいに思い起こした。

彼女は万年筆で書いていたのだから、きっと真摯な思いが込められていたのだろう。

そういうことを十数年たって受け手の自分が考えているのだから、彼女の誠意がいま届いたのと同じことだろう。

こういういろんな遅延と「つづき」を幾層にも抱え込みながらみんな同じ時代を生きている。

電子メール。手紙。伝書鳩とか使って良い知らせを送ってみたい。

伝書鳩は仕事を終えた後また元のところに帰還するのだろうか。

検索せずに夢想したい。


そして