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2011.08.30
覚醒以上の覚醒
「要するに、しばしば、災害と革命は不可分なのだ。」『社会は絶えず夢を見ている』大澤真幸
まだ日中は暑いが、徐々に空気は湿り気を失ってきている。
近所の畑の雑草の繁茂に太陽の残光があたり、風がそよいでいく様を飽きずに見ていた。
この黄金の中には外部も内部もなく、現実感覚の喪失にこそリアルな生がわき上がっていた。
音はつねに遅れていた世界。
豊後弁だろう、「きじわしい」という言葉。
落ち着きがない人に対して向けられる。
でもこの言葉に対応する人は東京にはいなかった。
落ち着きのない人はいても、「きじわしい」という言葉が合わなかった。
大分に戻れば、きじわしいとしか言いようがない人がたくさんいた。
まだ日中は暑いが、徐々に空気は湿り気を失ってきている。
近所の畑の雑草の繁茂に太陽の残光があたり、風がそよいでいく様を飽きずに見ていた。
この黄金の中には外部も内部もなく、現実感覚の喪失にこそリアルな生がわき上がっていた。
音はつねに遅れていた世界。
豊後弁だろう、「きじわしい」という言葉。
落ち着きがない人に対して向けられる。
でもこの言葉に対応する人は東京にはいなかった。
落ち着きのない人はいても、「きじわしい」という言葉が合わなかった。
大分に戻れば、きじわしいとしか言いようがない人がたくさんいた。
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2011.08.27
荒地の少女
夕方日陰を歩いていたらかなり涼しく季節はかなり進んだか。
本屋で田村隆一全集を立ち読みしているボブヘアの少女を見た。
この髪型が好きなことに気付く。
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ
気付いたらいつもYシャツの端がズボンからはみ出ている。
それも決まって背中の右側なのは、体がある方向に歪んでるせいなのではと思う。
NHKの新日本紀行を見るといつも涙が零れそうになる。
日本は寂しい。
この優しい寂しさがあってよかった。
最近は人の庭というか畑を見ることにはまっている。
あの生い茂り、壁が形成され、星のような花を咲かせているのはキュウリだろうか。
定年退職された方の机を見ると今も座っているような錯覚がする。
これはまだ辞めていないことと同じではなかろうか。
本屋で田村隆一全集を立ち読みしているボブヘアの少女を見た。
この髪型が好きなことに気付く。
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ
気付いたらいつもYシャツの端がズボンからはみ出ている。
それも決まって背中の右側なのは、体がある方向に歪んでるせいなのではと思う。
NHKの新日本紀行を見るといつも涙が零れそうになる。
日本は寂しい。
この優しい寂しさがあってよかった。
最近は人の庭というか畑を見ることにはまっている。
あの生い茂り、壁が形成され、星のような花を咲かせているのはキュウリだろうか。
定年退職された方の机を見ると今も座っているような錯覚がする。
これはまだ辞めていないことと同じではなかろうか。
2011.08.21
カリスマ
雨のせいか徐々に涼しくなってきている。
鈴虫の勢いが増して、胸が虚ろになる。
被災地で活躍していたある医師が免許をもっていないニセ医師だったらしい。
ニセ医師とかニセ警官とかニセ天皇といったニセの存在の出現はなにか興味をそそるものがある。
偽物には偽物の本物と同じくらいのっぴきならない存在理由がある。
偽物が本物以上に輝く瞬間もある。ドン・キホーテを思い出したけど。
自分の通っていた大学にはある過激派が巣食っていたのだが、その過激派の真似をするサークルが現れて、本物の過激派を換骨奪胎していた。パロディの力とも言えよう。そのサークルのリーダーが東京の脱原発デモを指揮していることを最近知った。
***
国歌独唱 野々村彩乃さん
上に挙げた動画を見ていたら、卑弥呼なんかが古代に群衆をまとめあげた風景を想像した。
その空間を声やパフォーマンスで一瞬で変質させ、心を鷲掴みにし、群衆全員の鼓動を同期させる。
ヒトラーとかゲッペルスの演説をいま聴いても、クラクラしてしまう力がある。
学生運動の時代でもデモを指揮する人がうまいと、一瞬でデモの足並みが揃ったらしい。
そういう身体的に他人と同調する機会というのは、クラブとかコンサートとかに限られてしまっている。
それゆえ、容認できない同調に対して抵抗する術も知らずに、どこかへ流されてしまっているのかもしれない。
鈴虫の勢いが増して、胸が虚ろになる。
被災地で活躍していたある医師が免許をもっていないニセ医師だったらしい。
ニセ医師とかニセ警官とかニセ天皇といったニセの存在の出現はなにか興味をそそるものがある。
偽物には偽物の本物と同じくらいのっぴきならない存在理由がある。
偽物が本物以上に輝く瞬間もある。ドン・キホーテを思い出したけど。
自分の通っていた大学にはある過激派が巣食っていたのだが、その過激派の真似をするサークルが現れて、本物の過激派を換骨奪胎していた。パロディの力とも言えよう。そのサークルのリーダーが東京の脱原発デモを指揮していることを最近知った。
***
国歌独唱 野々村彩乃さん
上に挙げた動画を見ていたら、卑弥呼なんかが古代に群衆をまとめあげた風景を想像した。
その空間を声やパフォーマンスで一瞬で変質させ、心を鷲掴みにし、群衆全員の鼓動を同期させる。
ヒトラーとかゲッペルスの演説をいま聴いても、クラクラしてしまう力がある。
学生運動の時代でもデモを指揮する人がうまいと、一瞬でデモの足並みが揃ったらしい。
そういう身体的に他人と同調する機会というのは、クラブとかコンサートとかに限られてしまっている。
それゆえ、容認できない同調に対して抵抗する術も知らずに、どこかへ流されてしまっているのかもしれない。
2011.08.19
フクシマから福島へ
鈴虫は夜ずっと鳴いているが朝になるにつれて、いつの間にか小鳥のさえずりと入れ替わっている。
朝型なのだろう、朝起きた時がもっとも心身ともに充実しているように思える。
それが削がれるのが嫌で、みのもんたを無意識に避けていることに気付いた。
甲子園は地元の高校を応援するが、負けていくたびにその「地元」の範囲は広がり、
最後には西日本とかにまで広がっている。アイデンティティの根拠のなさが露呈される。
企業やお寺、NPOと連帯して、福島の子どもたちを1週間だけ受け入れた。
1週間でも放射能の強い地域から離れると免疫力が増すらしい。
お母さんたちをいれて全部で30数名ほど。
たいがいのお父さんは福島に残って働いているようだ。
無償のボランティアで多くの方々が手伝ってくれているが、
そのボランティアをまとめるボランティアがいなくて現場はいつも混沌とする。
無邪気にはしゃぐ福島の子どもたちを見ると、子どもの可能性について考えざるを得ない。
可能性とは将来イチローみたいなスポーツ選手として活躍したりする潜在性のことではなかろう。
社会的な成功とは関係なく、10年後に再びこの地を訪れて新たな縁が生まれたり、
この疎開経験が後には大きな意味をもってくる、あるいはもたないことも含めて、
そういう可能性のすべてのこと。眼に見えない放射能が大地に浸透するのと同じように、
はしゃいで飛び跳ねたり歓声をあげたりしたことも大地に刻まれると思う。子どもはすごい。
朝型なのだろう、朝起きた時がもっとも心身ともに充実しているように思える。
それが削がれるのが嫌で、みのもんたを無意識に避けていることに気付いた。
甲子園は地元の高校を応援するが、負けていくたびにその「地元」の範囲は広がり、
最後には西日本とかにまで広がっている。アイデンティティの根拠のなさが露呈される。
企業やお寺、NPOと連帯して、福島の子どもたちを1週間だけ受け入れた。
1週間でも放射能の強い地域から離れると免疫力が増すらしい。
お母さんたちをいれて全部で30数名ほど。
たいがいのお父さんは福島に残って働いているようだ。
無償のボランティアで多くの方々が手伝ってくれているが、
そのボランティアをまとめるボランティアがいなくて現場はいつも混沌とする。
無邪気にはしゃぐ福島の子どもたちを見ると、子どもの可能性について考えざるを得ない。
可能性とは将来イチローみたいなスポーツ選手として活躍したりする潜在性のことではなかろう。
社会的な成功とは関係なく、10年後に再びこの地を訪れて新たな縁が生まれたり、
この疎開経験が後には大きな意味をもってくる、あるいはもたないことも含めて、
そういう可能性のすべてのこと。眼に見えない放射能が大地に浸透するのと同じように、
はしゃいで飛び跳ねたり歓声をあげたりしたことも大地に刻まれると思う。子どもはすごい。
2011.08.15
スキップなしで
外に出たら、アスファルトが濡れていた。
いつ雨が降ったのかは定かではないが。
自分の気に入った曲を集めて自分なりのベスト盤を作成するものの、
アルバムごとに聴いていたときの興奮がいまいち欠如している。
音楽の1曲1曲は、それ1曲で存在しているというよりも、
アルバムというある持続する相のもとで聴かれることを望んでいるようだ。
前後の曲がその間の曲を支持しているというか。
サッカーの試合でもゴールシーンなどのハイライトを見ただけでは全く意味がないのと似ている。そこに至るまでの持続やあるいは切断に歓喜や悲嘆がある。
…ここから敷衍して将棋だけど、たとえば竜王戦なんかで1手考えるのに数時間かかったりする。どのような手を指したかというのは対局後に棋譜というものを見ればわかるけど、その対局の現場に居合わせて、その数時間という時間を共に共有して考えることが重要だという。
夜になると、もう鈴虫が微かだが鳴いているのが聞こえる。
Kylie Minogue performing All The Lovers.
いつ雨が降ったのかは定かではないが。
自分の気に入った曲を集めて自分なりのベスト盤を作成するものの、
アルバムごとに聴いていたときの興奮がいまいち欠如している。
音楽の1曲1曲は、それ1曲で存在しているというよりも、
アルバムというある持続する相のもとで聴かれることを望んでいるようだ。
前後の曲がその間の曲を支持しているというか。
サッカーの試合でもゴールシーンなどのハイライトを見ただけでは全く意味がないのと似ている。そこに至るまでの持続やあるいは切断に歓喜や悲嘆がある。
…ここから敷衍して将棋だけど、たとえば竜王戦なんかで1手考えるのに数時間かかったりする。どのような手を指したかというのは対局後に棋譜というものを見ればわかるけど、その対局の現場に居合わせて、その数時間という時間を共に共有して考えることが重要だという。
夜になると、もう鈴虫が微かだが鳴いているのが聞こえる。
Kylie Minogue performing All The Lovers.
2011.08.13
忘れがたい景色はますます忘れがたくなる
昨晩は会社の呑み会。
社員の森さんは自意識が薄いというか周囲に対する関心が希薄なところがあって、たとえばさっきまで社内で熱く語り合っていたのに、僕が先に退社して歩いて帰っている横を森さんは自転車で僕のことに気付かずに素通りして帰ってしまう。そういうエピソードには事欠かないのだが、そのへんの意識の散漫ぶりが羨ましかったりする。
夜の駅で電車を30分ほど待つ。
時刻表を見たら30分以上もあったので、ああ30分も待つのかあと思ってベンチに座って本を読んでいた。そのうちになんというか辺りの空気が夜の気配の濃密さに充ちている事にきづく。本を読むのをやめ、その夜の豊穣さにただ受け身となる。蒸し暑さのなかの微かな風や虫の鳴き声、蛾から闇をいや増す小さな電球、誰かが携帯でぼそぼそ話している声とか、そういったものすべての夜に浸された。こんな茫漠とした充実もない。からっぽだから充実。仕事や遊びで忙しかったりするのは充実ではなかろう。そこには充たされるべきものなど初めからない。
墓参り。
見えない者に頭を下げる。
EXILE(エグザイル)の日本語訳は「追放」だと知った。
やられたと思った。
社員の森さんは自意識が薄いというか周囲に対する関心が希薄なところがあって、たとえばさっきまで社内で熱く語り合っていたのに、僕が先に退社して歩いて帰っている横を森さんは自転車で僕のことに気付かずに素通りして帰ってしまう。そういうエピソードには事欠かないのだが、そのへんの意識の散漫ぶりが羨ましかったりする。
夜の駅で電車を30分ほど待つ。
時刻表を見たら30分以上もあったので、ああ30分も待つのかあと思ってベンチに座って本を読んでいた。そのうちになんというか辺りの空気が夜の気配の濃密さに充ちている事にきづく。本を読むのをやめ、その夜の豊穣さにただ受け身となる。蒸し暑さのなかの微かな風や虫の鳴き声、蛾から闇をいや増す小さな電球、誰かが携帯でぼそぼそ話している声とか、そういったものすべての夜に浸された。こんな茫漠とした充実もない。からっぽだから充実。仕事や遊びで忙しかったりするのは充実ではなかろう。そこには充たされるべきものなど初めからない。
墓参り。
見えない者に頭を下げる。
EXILE(エグザイル)の日本語訳は「追放」だと知った。
やられたと思った。
2011.08.12
息も絶え絶え
眠ったり起きたりしているうちに天候が何度か変わった。
カーテンからのぞく強烈な光線が外の熱気を想像させたり、
窓に打ちつける雨で目覚め、また眠り込んだ。
いろんな夢を見ていたが、起きた瞬間に忘れた。
自分にとって眠ることほどリアルな身体の体験はない。
睡眠時間が短くても平気な人は、眠ることにリアリティの実感がほとんどないのだろう。
そういう人は寝具にも興味がなくて、リビングのソファで適当に3、4時間寝て起きる日々の知人がいる。
夏休みだからだろう、5、6人の集団で街にくりだして躁気味にはしゃいでいる少年や青年たちをよく見かける。こうやって子ども時分、束になって街に出て羽目を外したときの興奮や粋がりは今でも体の芯に残っていて、社員旅行などで集団で出かけたりする際にふとそれに似た感情に包まれることがある。これは二人とかで出かけるときには全くなく、やはり5、6人でたむろして出かける時だけ起こる感情だ。こういうのって集団での狩猟とかと関係があったりするのだろうか。
自署での記名をしていたら、自分の名前の書き順が間違っていることを指摘されて恥ずかしさを通り越して自分に唖然とした。
カーテンからのぞく強烈な光線が外の熱気を想像させたり、
窓に打ちつける雨で目覚め、また眠り込んだ。
いろんな夢を見ていたが、起きた瞬間に忘れた。
自分にとって眠ることほどリアルな身体の体験はない。
睡眠時間が短くても平気な人は、眠ることにリアリティの実感がほとんどないのだろう。
そういう人は寝具にも興味がなくて、リビングのソファで適当に3、4時間寝て起きる日々の知人がいる。
夏休みだからだろう、5、6人の集団で街にくりだして躁気味にはしゃいでいる少年や青年たちをよく見かける。こうやって子ども時分、束になって街に出て羽目を外したときの興奮や粋がりは今でも体の芯に残っていて、社員旅行などで集団で出かけたりする際にふとそれに似た感情に包まれることがある。これは二人とかで出かけるときには全くなく、やはり5、6人でたむろして出かける時だけ起こる感情だ。こういうのって集団での狩猟とかと関係があったりするのだろうか。
自署での記名をしていたら、自分の名前の書き順が間違っていることを指摘されて恥ずかしさを通り越して自分に唖然とした。
2011.08.07
死ぬのは法律違反ですよ
朝、玄関を出たら蜘蛛の巣が腕に纏わりついた。
髪を切る。
髪を切っている途中がいい感じなのだが、最終的にはいつも切りすぎている。
だけど、もみあげだけは異様にいつも長くされる。
そして切って一ヶ月後くらいがちょうどいい具合になる。
1ヶ月というのは新しい自分の髪型にセルフイメージが追いつく期間なのだろうか。
生の不連続性の露呈が誤摩化されていく時間かもしれない。
最近は訃報のニュースが多い。
人の死は誰かからの伝言で知る。
自分の死を知ることはできるのか。
オマエハモウスデニシンデイル。
人の死は人を集わさせる。
小津の映画ではお葬式が再会の契機となっていた。
唐突な死ほど再会も奇異なものになる。
自分は事故などで幾度か死に近いところまで足をのばしたが、不思議と共通していたのは、死線の近くでは平静で「死」も「生」もなかったことだった。ああいう状態を「無」というのかなと。小三でもそう思った。たぶん10歳で死のうと80歳で死のうと(自殺は別だが)本質的に同じなのではないかと。何が同じなのかというとうまく答えられない。10歳と80歳では人生の物語は全然違うが。その物語がすべてではないことは分かっている。
この「生」は有限であることは間違いないが、それは一般的に考えられている「死」というもので生が終わりをむかえるわけではない。そういう意味でも荒川修作の言うように「死なない」のだ。保坂和志氏の「死んでからが人生だ」という直観。
いまの暑い、この時期には死について自然に考えるようになっている。お盆や慰霊祭、中上健次の命日など死んだ者が近くにいる時節。
髪を切る。
髪を切っている途中がいい感じなのだが、最終的にはいつも切りすぎている。
だけど、もみあげだけは異様にいつも長くされる。
そして切って一ヶ月後くらいがちょうどいい具合になる。
1ヶ月というのは新しい自分の髪型にセルフイメージが追いつく期間なのだろうか。
生の不連続性の露呈が誤摩化されていく時間かもしれない。
最近は訃報のニュースが多い。
人の死は誰かからの伝言で知る。
自分の死を知ることはできるのか。
オマエハモウスデニシンデイル。
人の死は人を集わさせる。
小津の映画ではお葬式が再会の契機となっていた。
唐突な死ほど再会も奇異なものになる。
自分は事故などで幾度か死に近いところまで足をのばしたが、不思議と共通していたのは、死線の近くでは平静で「死」も「生」もなかったことだった。ああいう状態を「無」というのかなと。小三でもそう思った。たぶん10歳で死のうと80歳で死のうと(自殺は別だが)本質的に同じなのではないかと。何が同じなのかというとうまく答えられない。10歳と80歳では人生の物語は全然違うが。その物語がすべてではないことは分かっている。
この「生」は有限であることは間違いないが、それは一般的に考えられている「死」というもので生が終わりをむかえるわけではない。そういう意味でも荒川修作の言うように「死なない」のだ。保坂和志氏の「死んでからが人生だ」という直観。
いまの暑い、この時期には死について自然に考えるようになっている。お盆や慰霊祭、中上健次の命日など死んだ者が近くにいる時節。
2011.08.06
リモートコントロール
朝、玄関のドアを開けると蝉の声が一挙に迫ってくる。
会社では暑くても風通しがいいので、エアコン依存度は低い。
会社の建物は古い。実家の建物も古い。
でも昔の建物は多孔質というか、とにかく風の通りが良い。
いま住んでいる家は新しいが、気密性が高いせいかエアコンを消した途端に暑くなる。
結局、いまの家はエアコンとセットで、つまり設計思想として電気を使わなきゃやっていけないようにできている。オール電化でもそうだけど、電気の需要が増えるように増えるような社会がはじめから考えられている。少なくとも自分はそうしてほしいと頼んだ憶えはないが。だから電気予報で今の使用率がグラフで出てるのを見ると、なんとも馬鹿馬鹿しくなる。さんざん電気漬けにしておいて、節電を呼びかけられても。
会社では室内温度を管理していて、自分がエアコンのスイッチをつけるか否かの権限をもっているのだが、暑さ寒さに関する感受性は人みなそれぞれで、自分は一日つけなくても大丈夫だけど、女子社員のえっちゃんはいつも汗を多くかいているので、午後からつけるようにしている。
唐突だが自分は夏の人間ではないなと、ふと思うことがある。晩春に生まれたこともあるのだろうか、好き嫌いではなくて夏は自分からは「遠い」という感覚がある。その疎遠な感覚がどこからくるのかわからないが。単に泳ぐことが苦手だからかもしれないが。夏はいつも遠い。
会社では暑くても風通しがいいので、エアコン依存度は低い。
会社の建物は古い。実家の建物も古い。
でも昔の建物は多孔質というか、とにかく風の通りが良い。
いま住んでいる家は新しいが、気密性が高いせいかエアコンを消した途端に暑くなる。
結局、いまの家はエアコンとセットで、つまり設計思想として電気を使わなきゃやっていけないようにできている。オール電化でもそうだけど、電気の需要が増えるように増えるような社会がはじめから考えられている。少なくとも自分はそうしてほしいと頼んだ憶えはないが。だから電気予報で今の使用率がグラフで出てるのを見ると、なんとも馬鹿馬鹿しくなる。さんざん電気漬けにしておいて、節電を呼びかけられても。
会社では室内温度を管理していて、自分がエアコンのスイッチをつけるか否かの権限をもっているのだが、暑さ寒さに関する感受性は人みなそれぞれで、自分は一日つけなくても大丈夫だけど、女子社員のえっちゃんはいつも汗を多くかいているので、午後からつけるようにしている。
唐突だが自分は夏の人間ではないなと、ふと思うことがある。晩春に生まれたこともあるのだろうか、好き嫌いではなくて夏は自分からは「遠い」という感覚がある。その疎遠な感覚がどこからくるのかわからないが。単に泳ぐことが苦手だからかもしれないが。夏はいつも遠い。
2011.08.01
意識と本質
八月という社会的記号。
なんとなく今年の夏は短い気がする。
禁煙がテーマの番組を見ていたら、かえって無性に吸いたくなった。
禁煙して6、7年目で最大の危機だった。
とらわれないという状態は、禁煙していることさえ忘れている状態。
禁煙とか喫煙とかとは関係のないところにいること。
禁煙に成功した者が、禁煙をすすめる本とか絶対読んではいけない。
8月8日はフジテレビを見ない日にしようと、いろんなところで目にするが、
大分ではそもそもフジの番組はほとんど映らない…。
昨日の祭りで中学か高校くらいの若者が暴れていた。
以前、東京の通勤電車の中で中年のおやじが暴れていたのを思い出した。
年齢による精神的な成熟というのをあまり信じれない。
キャラクターの特性曲線は年々研ぎ澄まされる。丸くなることはない。
丸くなったかに見えるのは道徳的な完成ではなく、ただエネルギーが枯渇したり、
社会的な地位がそうさせている場合の方がほとんどだろう。
未熟な部分をずっと抱えたまま年をとる。
飽きるとか手放すということはあっても、反省して改心するということが可能なのか。
自分の昔の頃を思い出して恥ずかしく感じるのは、どのような内的変化か。
謝りたい人がたくさんいるのは。
Learn Japanese While Driving
なんとなく今年の夏は短い気がする。
禁煙がテーマの番組を見ていたら、かえって無性に吸いたくなった。
禁煙して6、7年目で最大の危機だった。
とらわれないという状態は、禁煙していることさえ忘れている状態。
禁煙とか喫煙とかとは関係のないところにいること。
禁煙に成功した者が、禁煙をすすめる本とか絶対読んではいけない。
8月8日はフジテレビを見ない日にしようと、いろんなところで目にするが、
大分ではそもそもフジの番組はほとんど映らない…。
昨日の祭りで中学か高校くらいの若者が暴れていた。
以前、東京の通勤電車の中で中年のおやじが暴れていたのを思い出した。
年齢による精神的な成熟というのをあまり信じれない。
キャラクターの特性曲線は年々研ぎ澄まされる。丸くなることはない。
丸くなったかに見えるのは道徳的な完成ではなく、ただエネルギーが枯渇したり、
社会的な地位がそうさせている場合の方がほとんどだろう。
未熟な部分をずっと抱えたまま年をとる。
飽きるとか手放すということはあっても、反省して改心するということが可能なのか。
自分の昔の頃を思い出して恥ずかしく感じるのは、どのような内的変化か。
謝りたい人がたくさんいるのは。
Learn Japanese While Driving
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