2011.07.31
微睡(まどろ)み
蝉が勢いを取り戻してきた。
夕方の5時くらいになると日が斜めに射して、
日中のような光線の強さが消え、気温も蝉もいつの間にか穏やかになっている。
その時間帯の微睡み、時間の流れが静止したかのような感覚を味わう。
静止したかのような時に、はじめて「時間」に気づく。
そして同時に惜寂とか寂寞といったものが漂い出している。
そのような環境と受け手の感受性がセットで、ここのところに「日本の風土」がある。
千年前の清少納言の感受性に共感できると思えるのは、環境が変わってないからだろう。
ツイッターは信仰の告白をするのに適している。
本当のことをさらりと云うのに適している。
それが怖いから自分にはツイッターができないのだろうか。
いつも行っているスーパーの天井をふと見上げると、
躯体とか梁とかいった構造物が複雑に交錯していて妙に感動した。
もう何年も通っているのに、はじめて上を見上げたということか。
このスーパーには美人のパートタイマーの女性がいる。
でも仕事に全然やる気がなくて、そのやる気のなさが見ていて面白い。
美人だとやる気のなさも絵になっていることに気づく。表現に達している。
夕方の5時くらいになると日が斜めに射して、
日中のような光線の強さが消え、気温も蝉もいつの間にか穏やかになっている。
その時間帯の微睡み、時間の流れが静止したかのような感覚を味わう。
静止したかのような時に、はじめて「時間」に気づく。
そして同時に惜寂とか寂寞といったものが漂い出している。
そのような環境と受け手の感受性がセットで、ここのところに「日本の風土」がある。
千年前の清少納言の感受性に共感できると思えるのは、環境が変わってないからだろう。
ツイッターは信仰の告白をするのに適している。
本当のことをさらりと云うのに適している。
それが怖いから自分にはツイッターができないのだろうか。
いつも行っているスーパーの天井をふと見上げると、
躯体とか梁とかいった構造物が複雑に交錯していて妙に感動した。
もう何年も通っているのに、はじめて上を見上げたということか。
このスーパーには美人のパートタイマーの女性がいる。
でも仕事に全然やる気がなくて、そのやる気のなさが見ていて面白い。
美人だとやる気のなさも絵になっていることに気づく。表現に達している。
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2011.07.28
タイトルなし
レイ・ハラカミが逝く。
この前NHKで太地町の鯨漁の特集をやってた。
アナログ放送が終わって、テレビはもういいやと思ってたときにいい番組を見た。
国道42号線の熊野とかを旅してこのあたりの民宿に泊まると、イルカとか鯨の生肉が普通に出てくる。特筆すべき味ではないけど、それ以外に食うもんがなければ食わねばならない時代もあっただろう。裁こうとするシー・シェパードの連中の妨害を前に、地元民は初めて自分たちの寄って立つ基盤を疑う。
誰もが哲学者になっていて、シー・シェパードの連中より真摯に鯨のことを想っていた。
自分の業の前にたじろぐ人間と自分の正義をこそ押しつける人間。
後者のシンプルな手強さにどう向き合えばいいのかわからない。
(僕はずっと後者の人間たちの間で呆然としてきたような気がする。)
大分の臼杵とか佐伯あたりの湾岸沿いには鯨の墓が点々とある。
供養のための墓碑だろう。戦国時代では敗者を手厚く供養した。
そう言えば日本では針とかも供養の対象だ。
警視庁は捜索に尽力した警察犬のシェパードを供養する。
贈与を受けた者の、生き残った者の作法。
つねに(先に)死せる者たちのまなざしの前に立つ。
死者はまなざされず。奢ることはあっても。
Bioscape
この前NHKで太地町の鯨漁の特集をやってた。
アナログ放送が終わって、テレビはもういいやと思ってたときにいい番組を見た。
国道42号線の熊野とかを旅してこのあたりの民宿に泊まると、イルカとか鯨の生肉が普通に出てくる。特筆すべき味ではないけど、それ以外に食うもんがなければ食わねばならない時代もあっただろう。裁こうとするシー・シェパードの連中の妨害を前に、地元民は初めて自分たちの寄って立つ基盤を疑う。
誰もが哲学者になっていて、シー・シェパードの連中より真摯に鯨のことを想っていた。
自分の業の前にたじろぐ人間と自分の正義をこそ押しつける人間。
後者のシンプルな手強さにどう向き合えばいいのかわからない。
(僕はずっと後者の人間たちの間で呆然としてきたような気がする。)
大分の臼杵とか佐伯あたりの湾岸沿いには鯨の墓が点々とある。
供養のための墓碑だろう。戦国時代では敗者を手厚く供養した。
そう言えば日本では針とかも供養の対象だ。
警視庁は捜索に尽力した警察犬のシェパードを供養する。
贈与を受けた者の、生き残った者の作法。
つねに(先に)死せる者たちのまなざしの前に立つ。
死者はまなざされず。奢ることはあっても。
Bioscape
2011.07.26
部屋で溺れて
ひとつの鍋でいろんなものを調理しているせいで、素麺に微かなカレー風味が残る。
すでにひぐらしの鳴き声が聞こえたような気がした。空耳か。
空耳でも甘美なエモーションは残った。
夕暮れの妙な涼しさが幻聴を導いたのかもしれない。
夕刻、電光のバス停にライトが自動点灯した瞬間を見て、不意に日の短さを思う。
蝉の勢いがいまいちだ。
家に帰ったときの熱気や湿度の高さにたじろく。
倦んだような熱情。誰の物でもないけど。
そのとき何と向き合っているのか。
部屋の鬱蒼とした湿り気とか汗とか、そういったものにむせぶ夜とかに夢を見る。
文庫本が熱くしなりきっている。
滝行の(ような)夢を初めて見た。
息ができないくらい苦しく目が覚めたら、外は大雨で窓に激しく雨の礫がうちつけていた。
まだ4時くらいだったので、それから2度寝して得した気になった。
ああ、そうそう車が機械で圧倒的に洗車されるときの迫力に近い感じがあった。
すでにひぐらしの鳴き声が聞こえたような気がした。空耳か。
空耳でも甘美なエモーションは残った。
夕暮れの妙な涼しさが幻聴を導いたのかもしれない。
夕刻、電光のバス停にライトが自動点灯した瞬間を見て、不意に日の短さを思う。
蝉の勢いがいまいちだ。
家に帰ったときの熱気や湿度の高さにたじろく。
倦んだような熱情。誰の物でもないけど。
そのとき何と向き合っているのか。
部屋の鬱蒼とした湿り気とか汗とか、そういったものにむせぶ夜とかに夢を見る。
文庫本が熱くしなりきっている。
滝行の(ような)夢を初めて見た。
息ができないくらい苦しく目が覚めたら、外は大雨で窓に激しく雨の礫がうちつけていた。
まだ4時くらいだったので、それから2度寝して得した気になった。
ああ、そうそう車が機械で圧倒的に洗車されるときの迫力に近い感じがあった。
2011.07.24
寝たり起きたり
いつの間にアナログ放送が終わっていた。
還るところはスナアラシ。
週末は部屋でだらだら。
だらだらするのにも体力がいる。
起きては大江健三郎の『水死』を読み、また眠る。
ものすごくエネルギーを奪われる小説。
小説が消化不良でおなかを壊す。
建物がすこし揺れたような気になって外に出る。
いつのまにか近所で夜祭りが開かれている。
実行委員は屋台を並べれば祭りになるとでも思っているのだろうか。
祭りが「再会」の場としてもっと機能できぬものか。
夜も蒸される暑さにもだえる。
素麺を食べてまた寝る。
そういえば、勾配をつけた竹で組んだ流し素麺を最近見ない。
還るところはスナアラシ。
週末は部屋でだらだら。
だらだらするのにも体力がいる。
起きては大江健三郎の『水死』を読み、また眠る。
ものすごくエネルギーを奪われる小説。
小説が消化不良でおなかを壊す。
建物がすこし揺れたような気になって外に出る。
いつのまにか近所で夜祭りが開かれている。
実行委員は屋台を並べれば祭りになるとでも思っているのだろうか。
祭りが「再会」の場としてもっと機能できぬものか。
夜も蒸される暑さにもだえる。
素麺を食べてまた寝る。
そういえば、勾配をつけた竹で組んだ流し素麺を最近見ない。
2011.07.19
乾いた台風
雨が少ない台風だった。
土手の雑草が強風でうねっているのをしばし見ていた。
台風のマックスを待ち受けていたが、いつのまにか通過した。
蝉のいない夏とか、印籠をなくした水戸黄門とか。
直訳された英語もそうだ。
汚染されていると分かっていても農作物、牛肉を市場に出す人。
安心安全な料理が提供できないからと店をたたむ人。
解釈によって、黒い物を白と言う人。
黒い物を黒と言い続けた人。
職業に宿るべき良心とか正義とは。
生きているということはむろんきれいごとではないが。
どこの段階でわかたれていくのか。
プロはきれいごとではないことを知っているし、手も心も汚せる。
けどその後どうするかは、それを売るか売らないかは同じプロでも分かれるということ。
2人以上で同じ事をしていても、それぞれが別々の位相に位置しているということがよくある。
将棋とか差し向かいで対局し、同じルールを共有しても、お互いが将棋盤に見ている宇宙は別々だ。
サッカー女子のアメリカと日本の対決でも、お互い同じピッチに立ちながら、まったく違う世界で試合をしているようだった。その不思議さはどこかで見覚えのあるものだった。法だけが両者をなんとかつなぐ結び目だった。最近はなにかこのような断絶に唖然とすることがよくある。同僚と喋っていて全くお互い理解不能だと気づくときとか、それが男女の交合のただ中なら冷え冷えとして悟りにいたる。でもネコだけはその断絶に救われる。
みかんネコ
土手の雑草が強風でうねっているのをしばし見ていた。
台風のマックスを待ち受けていたが、いつのまにか通過した。
蝉のいない夏とか、印籠をなくした水戸黄門とか。
直訳された英語もそうだ。
汚染されていると分かっていても農作物、牛肉を市場に出す人。
安心安全な料理が提供できないからと店をたたむ人。
解釈によって、黒い物を白と言う人。
黒い物を黒と言い続けた人。
職業に宿るべき良心とか正義とは。
生きているということはむろんきれいごとではないが。
どこの段階でわかたれていくのか。
プロはきれいごとではないことを知っているし、手も心も汚せる。
けどその後どうするかは、それを売るか売らないかは同じプロでも分かれるということ。
2人以上で同じ事をしていても、それぞれが別々の位相に位置しているということがよくある。
将棋とか差し向かいで対局し、同じルールを共有しても、お互いが将棋盤に見ている宇宙は別々だ。
サッカー女子のアメリカと日本の対決でも、お互い同じピッチに立ちながら、まったく違う世界で試合をしているようだった。その不思議さはどこかで見覚えのあるものだった。法だけが両者をなんとかつなぐ結び目だった。最近はなにかこのような断絶に唖然とすることがよくある。同僚と喋っていて全くお互い理解不能だと気づくときとか、それが男女の交合のただ中なら冷え冷えとして悟りにいたる。でもネコだけはその断絶に救われる。
みかんネコ
2011.07.17
のみこまれた夜
空の青みが強すぎて、空に重みを感じてくらくらするのは気温のせいではあるまい。
予報にない通り雨で隣人の干されていた服がただ濡れていく。
近所で祭りがあったのか、普段ガラガラの駐車場が埋め尽くされて風景が変わっていた。
風景が変わると、こちらの情動にも影響を及ぼしテンションが少しあがった。
会社の人たちと遅くまで飲む。
東京はみなが電車通勤なので会社帰りに飲むということは日常茶飯事だったが、
車社会の田舎では、特定の日でしかみなと飲む事がない。
つまりはじけたコミュニケーションの機会が少ない。
だからたまにある飲み会でのみなのはじけ方が半端ない。
飲みの場ではひとりの話しかけが、別の話の展開を生み、結論もなく、
ひろげられた長い絵巻物のように飲むこと食べることと続けられる会話。
話題が脈略もなく、ありえない接続や飛躍を生んでも、だれも気づくことなく続けられる。
耳圧なのか周囲の会話が呪文のように抽象的に聞こえ出す。
普段はおとなしいAくんもいつの間にスイッチが入って饒舌になり空転している。
唯一現実へと引き止めるものは、エアコンの寒さと上司とか部下への言葉使いの違いだけか。
店から店へと移るときのみなの千鳥足やぐだまき、女の人の濃厚な香水がどこからともなく。
上司の遠藤さんが旧友との偶然の再会をはたす。盛り場ではこういうことがよく起きる。
自分も再会したかのような気分になる。
歌を歌い、メニューを見る。もう長い会話を続ける根気はなくなり、センテンスが短くなる。咆哮。食いものが落ちてももう拾わない。
ただの棒切れのようになる。食欲とか睡欲とか性欲とか、帰りたいとか歩きたいとかただそれだけの様態になる。普段は複数の思念、判断、欲求の制御のもとで生きていることに気づく。ただ歩くというわけにはいかないのか。昔、壮絶な暴力沙汰の現場になったいくつかの飲み会を思い出した。人はとつぜんに腹を蹴り、顔を殴る。
トイレで。汚いだろうと思って入ったけど、ぴかぴかに掃除されたトイレに一瞬酔いが覚める。鏡を見れば、そこには規定できない自分以上のものが写っている。
帰りのタクシーの車内での酔気さめやらぬ会話。まだ労働のただなかにある運転手との距離。同じ車内でも別々の世界をみな夢見ている。
家に帰って、バッハの旋律を夜に聴いたせいです。を聴いて寝る。
予報にない通り雨で隣人の干されていた服がただ濡れていく。
近所で祭りがあったのか、普段ガラガラの駐車場が埋め尽くされて風景が変わっていた。
風景が変わると、こちらの情動にも影響を及ぼしテンションが少しあがった。
会社の人たちと遅くまで飲む。
東京はみなが電車通勤なので会社帰りに飲むということは日常茶飯事だったが、
車社会の田舎では、特定の日でしかみなと飲む事がない。
つまりはじけたコミュニケーションの機会が少ない。
だからたまにある飲み会でのみなのはじけ方が半端ない。
飲みの場ではひとりの話しかけが、別の話の展開を生み、結論もなく、
ひろげられた長い絵巻物のように飲むこと食べることと続けられる会話。
話題が脈略もなく、ありえない接続や飛躍を生んでも、だれも気づくことなく続けられる。
耳圧なのか周囲の会話が呪文のように抽象的に聞こえ出す。
普段はおとなしいAくんもいつの間にスイッチが入って饒舌になり空転している。
唯一現実へと引き止めるものは、エアコンの寒さと上司とか部下への言葉使いの違いだけか。
店から店へと移るときのみなの千鳥足やぐだまき、女の人の濃厚な香水がどこからともなく。
上司の遠藤さんが旧友との偶然の再会をはたす。盛り場ではこういうことがよく起きる。
自分も再会したかのような気分になる。
歌を歌い、メニューを見る。もう長い会話を続ける根気はなくなり、センテンスが短くなる。咆哮。食いものが落ちてももう拾わない。
ただの棒切れのようになる。食欲とか睡欲とか性欲とか、帰りたいとか歩きたいとかただそれだけの様態になる。普段は複数の思念、判断、欲求の制御のもとで生きていることに気づく。ただ歩くというわけにはいかないのか。昔、壮絶な暴力沙汰の現場になったいくつかの飲み会を思い出した。人はとつぜんに腹を蹴り、顔を殴る。
トイレで。汚いだろうと思って入ったけど、ぴかぴかに掃除されたトイレに一瞬酔いが覚める。鏡を見れば、そこには規定できない自分以上のものが写っている。
帰りのタクシーの車内での酔気さめやらぬ会話。まだ労働のただなかにある運転手との距離。同じ車内でも別々の世界をみな夢見ている。
家に帰って、バッハの旋律を夜に聴いたせいです。を聴いて寝る。
2011.07.12
ゆるめる夢
献血ルームで包丁を持った男に刺されて流血して輸血とはどげえなってる。
部屋が暑くても空気の流れさえあれば、なんとか凌げることに気づく。
電力会社のための節電はしない。あくまで自分のため。
最近は人間について考える。
わかりあえるなんてとうていありえないことをうけいれたうえで。
部下への叱り方がひどい上司がいて、かれは何十年も商売をやっているのにひとりの部下もまともに育てていない。みな彼の元を離れていく。相手の自尊心をボロボロにするまで叱る。
どんなに優秀だとしても、だれが彼を評価するのだろうか。
人は何で商売するかというより、誰と商売するかというところが多分にあるなあ。
いまおかしんじ監督の「おじさん天国」がAVコーナーに何気に置いてあったので借りる。
素晴らしい。あらゆるゆるさが気持ちいい。
おじさん役の下元史朗の夢見る身体がいい。ボルヘスの実写。
この映画は彼の夢をずっと見ていたような。現実を浸食する夢。
直立での歌劇シーンに泣けた。
なんだこの満ち足りた感じは!幸福とか不幸とかどうでもよくなる映画。
「若きロッテちゃんの悩み」も見よっと。
自分の見た夢について語ることはとてつもなく重要な事かもしれないとこの映画を見て思った。
こん世界に爆弾投げ込むのとおんなじ。
明恵という鎌倉時代の僧は19歳から60歳で死ぬその前年まで夢を記述し続けた。
自分はすぐ忘れてしまうけど。訓練しだいか。
孤立する上司に自分の見た夢を語ってみようか。
部屋が暑くても空気の流れさえあれば、なんとか凌げることに気づく。
電力会社のための節電はしない。あくまで自分のため。
最近は人間について考える。
わかりあえるなんてとうていありえないことをうけいれたうえで。
部下への叱り方がひどい上司がいて、かれは何十年も商売をやっているのにひとりの部下もまともに育てていない。みな彼の元を離れていく。相手の自尊心をボロボロにするまで叱る。
どんなに優秀だとしても、だれが彼を評価するのだろうか。
人は何で商売するかというより、誰と商売するかというところが多分にあるなあ。
いまおかしんじ監督の「おじさん天国」がAVコーナーに何気に置いてあったので借りる。
素晴らしい。あらゆるゆるさが気持ちいい。
おじさん役の下元史朗の夢見る身体がいい。ボルヘスの実写。
この映画は彼の夢をずっと見ていたような。現実を浸食する夢。
直立での歌劇シーンに泣けた。
なんだこの満ち足りた感じは!幸福とか不幸とかどうでもよくなる映画。
「若きロッテちゃんの悩み」も見よっと。
自分の見た夢について語ることはとてつもなく重要な事かもしれないとこの映画を見て思った。
こん世界に爆弾投げ込むのとおんなじ。
明恵という鎌倉時代の僧は19歳から60歳で死ぬその前年まで夢を記述し続けた。
自分はすぐ忘れてしまうけど。訓練しだいか。
孤立する上司に自分の見た夢を語ってみようか。
2011.07.11
抜け殻にまだいる
ド・ゴールは言う「政治とはあまりにも重大な事柄なので、政治家に任せておくことはできない。」
11日前後に大きな揺れがいつもきているような。
ある整体師が言うには大きな地震が来る前は必ず患者さんの頸椎の特定の場所がみなズレているという。
雲とか光線とか気温とか影の濃淡とか、まぎれもない夏だった。
会社は毎年エアコンをなかなかつけない。
自分と社長はどうやら平気だ。
二人ともサウナ好きだからか。
湿気や気温にたいして不快というよりも、
服と肌の関係が不快なのだろう。脱げないが。
さいきん半パンにランニングシャツでうろうろしている人をあまり見ない。
夜ドキュメンタリーを見ていたらラーメンを食べるシーンがあって、
心の底からラーメンを食べたくなるも、ぐっと堪える。
食べないことが健康の元だと信じている。
食えないと食べないは違うが。
まだ抜け殻に入ったまま(表現変!)の蝉をみつけて自慢してた近所の子。
でも羽化時に羽根にさわってしまって、羽根が縮んだままになって、
もうその蝉は永遠に跳ぶことができなくなってしまった。
オレいらんことしたと、罪の意識が芽生えていた。
11日前後に大きな揺れがいつもきているような。
ある整体師が言うには大きな地震が来る前は必ず患者さんの頸椎の特定の場所がみなズレているという。
雲とか光線とか気温とか影の濃淡とか、まぎれもない夏だった。
会社は毎年エアコンをなかなかつけない。
自分と社長はどうやら平気だ。
二人ともサウナ好きだからか。
湿気や気温にたいして不快というよりも、
服と肌の関係が不快なのだろう。脱げないが。
さいきん半パンにランニングシャツでうろうろしている人をあまり見ない。
夜ドキュメンタリーを見ていたらラーメンを食べるシーンがあって、
心の底からラーメンを食べたくなるも、ぐっと堪える。
食べないことが健康の元だと信じている。
食えないと食べないは違うが。
まだ抜け殻に入ったまま(表現変!)の蝉をみつけて自慢してた近所の子。
でも羽化時に羽根にさわってしまって、羽根が縮んだままになって、
もうその蝉は永遠に跳ぶことができなくなってしまった。
オレいらんことしたと、罪の意識が芽生えていた。
2011.07.10
草の上
熱波。
蝉が季節に遅れまだ鳴いてない。
洗濯物が瞬乾。
瓦が銀色に照り返し、草が萌えてる。
何人かの方から以前引用したドゥルーズの雑草の氾濫について質問される。
ええっと、なんの著作のどこからの言葉だったか、、記憶が曖昧。
曖昧だが、雑草について書かれたそのところでドゥルーズの言っている<リゾーム>という概念がふっと体の芯にはいってきた実感は今でも消えない。
ああ、あった。
長いが『千のプラトー』の序章からまるまる引用してみる。
「われわれはリゾームあるいは草を失ってしまった。ヘンリー・ミラーは言う――”中国は人類というキャベツ畑の雑草だ。…雑草は人間の努力の復讐の女神である。われわれがもろもろの植物、動物、星などに託しているあらゆる想像的生活のうちで、いちばん賢明な生活を送っているのはたぶん雑草である。確かに草は花も産み出さなければ、航空母艦も、それから山上の垂訓も産み出すわけじゃない。…けれどもとどのつまり、つねに最後の一言を言うのはいつも草なのだ。とどのつまりすべてが中国の状態に回帰するのだ。それは歴史家たちが一般に中世の暗黒と呼ぶものである。草以外に出口はない。…草は耕されない広大な空間のあいだにしか存在しない。それは空虚を満たすのだ。それはあいだに生える、ほかのいろいろなものにはさまれて。花は美しいし、キャベツは役に立ち、ケシは人を狂わせる。けれども草は氾濫であり、それは一個の教訓なのだ。”」
若干文言の記憶違い。
ドゥルーズそのものの言葉というより、ヘンリー・ミラーの著作からの引用だった。
唐突な「中国」には戸惑うが雑草への讃歌を通して<リゾーム>を体感する。
年々庭の草の繁茂が激しくなっている。
理由はなく、ただ一個の教訓として。
蝉が季節に遅れまだ鳴いてない。
洗濯物が瞬乾。
瓦が銀色に照り返し、草が萌えてる。
何人かの方から以前引用したドゥルーズの雑草の氾濫について質問される。
ええっと、なんの著作のどこからの言葉だったか、、記憶が曖昧。
曖昧だが、雑草について書かれたそのところでドゥルーズの言っている<リゾーム>という概念がふっと体の芯にはいってきた実感は今でも消えない。
ああ、あった。
長いが『千のプラトー』の序章からまるまる引用してみる。
「われわれはリゾームあるいは草を失ってしまった。ヘンリー・ミラーは言う――”中国は人類というキャベツ畑の雑草だ。…雑草は人間の努力の復讐の女神である。われわれがもろもろの植物、動物、星などに託しているあらゆる想像的生活のうちで、いちばん賢明な生活を送っているのはたぶん雑草である。確かに草は花も産み出さなければ、航空母艦も、それから山上の垂訓も産み出すわけじゃない。…けれどもとどのつまり、つねに最後の一言を言うのはいつも草なのだ。とどのつまりすべてが中国の状態に回帰するのだ。それは歴史家たちが一般に中世の暗黒と呼ぶものである。草以外に出口はない。…草は耕されない広大な空間のあいだにしか存在しない。それは空虚を満たすのだ。それはあいだに生える、ほかのいろいろなものにはさまれて。花は美しいし、キャベツは役に立ち、ケシは人を狂わせる。けれども草は氾濫であり、それは一個の教訓なのだ。”」
若干文言の記憶違い。
ドゥルーズそのものの言葉というより、ヘンリー・ミラーの著作からの引用だった。
唐突な「中国」には戸惑うが雑草への讃歌を通して<リゾーム>を体感する。
年々庭の草の繁茂が激しくなっている。
理由はなく、ただ一個の教訓として。
2011.07.06
家と鍵
雨。雨が熟している。
序章の感じではなく、もうフィナーレの豪雨だ。
昨日はじわりと揺れた。
久しぶりに緊急地震速報を聴く。
どこでどのくらい揺れるか不明なまま予期された地震を待つことは何かに似ているが思い出せない。
被災者の方は家を流されても、家の鍵はいまだに手放せないという。
家はなにかを象徴しているというより、自分そのものの延長だ。
旅に出て、1週間くらい家をあけて玄関に入ったときに、
こもった匂いがして、自分を確認する。
旅の快楽は目的地そのものにあるというより、家との遠近感によって立ち上がる。
家から離れることは快楽であるし、帰還して包まれることも快楽である。
フッサール現象学のノエシスとノエマの対概念。
意識は必ずなにものかについての意識である。
意識だけを純粋にとりだすことはできない。
意識はその意識対象をそれ自身のうちに有している。
家と鍵について想っていたら、ノエシスとノエマを思い出した。
逆に言えば、家を失っても鍵がまだあるなら家もまだあることになるのではないか。
それもまたなにかに似ているが思い出せない。
豊穣なロストによって、わたしという廃墟は支えられる。
序章の感じではなく、もうフィナーレの豪雨だ。
昨日はじわりと揺れた。
久しぶりに緊急地震速報を聴く。
どこでどのくらい揺れるか不明なまま予期された地震を待つことは何かに似ているが思い出せない。
被災者の方は家を流されても、家の鍵はいまだに手放せないという。
家はなにかを象徴しているというより、自分そのものの延長だ。
旅に出て、1週間くらい家をあけて玄関に入ったときに、
こもった匂いがして、自分を確認する。
旅の快楽は目的地そのものにあるというより、家との遠近感によって立ち上がる。
家から離れることは快楽であるし、帰還して包まれることも快楽である。
フッサール現象学のノエシスとノエマの対概念。
意識は必ずなにものかについての意識である。
意識だけを純粋にとりだすことはできない。
意識はその意識対象をそれ自身のうちに有している。
家と鍵について想っていたら、ノエシスとノエマを思い出した。
逆に言えば、家を失っても鍵がまだあるなら家もまだあることになるのではないか。
それもまたなにかに似ているが思い出せない。
豊穣なロストによって、わたしという廃墟は支えられる。