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2011.05.31 不来梅雨
天井を見る夜。
ながれている天井板の木目。
ベッドの上でもまなこを見開いて。
月光ではないが、隣の家の光がカーテンから洩れてくる。


痛みをともなう悔恨や失意、錯誤が浮かんできて爪痕を残し、消えてゆく。
年齢を重ねただけ、過去が重くなっていく。
単純なセンチメンタルのレベルはとうに過ぎている。
自分自身といかに和解していくかは一生背負うものだろうか。
夜の変容。


いろんな言葉が訪れる。
「た だ そ れ だ け の 景 色」という文字を見て、
「ただしい者たちだけの景色」と勝手に読み換えて勝手に興奮する。
言葉が溢れると同時に光も溢れる。
言葉に色や質感、マッスや鮮度を見る。
ますます目が冴えてくる夜。
天井の夜。



トゥルニエ、トゥルニエ…ドゥルーズの引用したトゥルニエの言葉。
***
「私の脳髄に一つの像が浮かぶように、空にはひとつの雲があらわれる。私が息をするように風が吹き、私の心が人生と和解するのに必要な時間だけ、二つの地平線をまたいで虹がかかっている。休暇が過ぎ去っていくように夏が流れていく」


ある菌の研究に一生を捧げている知人がいて、かれはその菌を毎日飲用している。
以前すすめられたが怖くて飲めなかった。
体内の細胞を活性化させ、肌のつやや張りもよくなるらしい。
うん、確かにかれの肌つやはとてもいい。
10歳は若く見えるようになるとか言われても、自分は童顔なのでこれ以上若くなってもなあ。。
また便の匂いが見事に消えるんだよとも言っていた。

ある日、かれが用を足す時間が長かった時があって、
かれの言っていたことを確認できるチャンスが突然訪れた。
この確認のためだけというわけではないけど、
かれの後にトイレに入ったら、めちゃくちゃ臭かった。
逆になぜか安堵したが。
かれには匂うことがなければ、それで充分成立するのだ。


きょうで5月はおしまい。



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2011.05.29 内面
ここ数日体調がいまいちだと思っていたら、台風が近づいていた。
気圧の変化に翻弄されるらしい。
今日はほとんど寝ていた。
台風が過ぎ去った夜の方が風雨が激しかった。
家の壁を洗うかのような角度で雨が打ちつけていた。
子どもの頃は台風でわくわくしてたけど、今はそんなにでもないのは、
体調のせいか。


家にこもって映画とかテレビを見る。
「なんでも鑑定団」で中島誠之助が偽物の朝鮮唐津を見て、
これには内面が充実していないみたいなことを言っていて、いたく感動。
そう、すぐれた器には「内面」がたしかにある。
内面からのわきあがってくるどうしようもない緊張感。
呼吸し、湿り気を帯び、血の気が通い、セクシャルでさえある。
それがそこにあることの奇跡。
陶器のマイブームがまた始まりそう。


雨が降ったあとの土とか草の匂いに心身が深く安堵する。
年々雨が好きになっているのは、この匂いの訪れを楽しんでいるのか。


地面や窓を叩きつけるように大雨がふれば、
車が洗車されたようにきれいになっていた。


通学途中で自転車に乗りながら雨でずぶ濡れになっている学ランの中学生。
どこかの地点で濡れたくないという選択肢を捨て、ただ一刻も早く学校へ着こうとする意思だけになった瞬間がきっとあるはず。その気迫のみがペダルを漕がしていた。そしてきっと着替えはない。タオルもない。これからいかにも降り出しそうな重い空を経験上知りつつも、あえて雨具を準備せずに玄関を飛び出す無謀さは今の自分にはないが気持ちはわかる。学ランは濡れると異様にてかる質感をもつ。その濡れた漆黒はなにもかも吸いこむ。


立川談志師匠は、昔テレビでこちらは有名な方ですと紹介された医師にむかって、
有名じゃないから「有名です」って言わなきゃなんないと吐き捨てた。
長嶋のことをわざわざ有名な野球選手って言わないだろ?と。
それではたと気づいたのが、
原発は安全ですと言い続けてたのは危険だという裏返しだったということ。


談志もまた「談志」と一発変換されることのよろこび。


脱原発派の小出先生や後藤先生は「高速増殖炉」を何度でもかまないで言える。


Joy


2011.05.23 こんな事ども
南島


突然に気温が下がる。
毛穴なのか全身が収縮し、ここ最近開放的だった心象が緊縮したものに変わる。
気温の高低で景色の見え方も変わる。私も変わる。
長袖を着るも微妙に暑く、その長袖をまくる。でも最初から半袖だと寒い。


南の島に行った時に、ここの住人は明日とかましてや老後の心配なんてないのだろうなと感じた。
歩き方からして、どこにも力が入っていなくて、構えることもない。
日が昇り、日が沈む。ただそれだけ。
日本では強制的に老後を心配させられ、働かされているだけなのか。
労働はわれわれを自由にする?
餓死が怖いか。
南の島でかつて多くの日本人が餓死した。


「ゴダール・ソシアリスム」を見る。
うん、観るというより見るの映画。
映画館には7人だけいた。
ここまでやったか、万歳!というのが感想。
パラジャーノフのことをずっと考えていた。
忘れ難い幾つかのシーン、音声をここに書いてももう遅い。
基底材を猛り狂わせる。
ヒエログリフで女の名前を書くこと。
これはなお映画たりえているのか。
ぼくはこの映画を確かに見たのか、あやしくなってきた。


雨が降る。
上司の上田さんは放射能つきかもしれないからと、濡れないように雨のなかを走った。
上田さんが走るところを初めて見た。
なんか異様に元気が出た。


森の木琴


鳥(バード)


月曜日の朝をむかえ、おそらく10年くらい前の掃除したての、
ピカピカの部屋でむかえたいつかの月曜日の朝を克明に思い出し、
同じことの繰り返しに虚無をのぞくも、それを絶望と捉えるにはまだ早いとなんとか踏みとどまる。
今週末に地元でやっとゴダールの最新作「ゴダール・ソシアリスム」が上映されるから踏みとどまれる朝もある。


年に数日あるかないかの、寒くもなく暑くもない、
ただ無害に気持ちいい風が優しくそよいでいた一日だった。
まだここでは深呼吸できる。


基本的に自分の性質は穏やかでありつつも、「反抗の人」だと自認しているが、
だからというわけではないが、健康診断のバリウムを飲む胃検診はなるべく避けるようにしている。
何マイクロシーベルトか忘れたがとにかく被曝量が激しく、
癌を発見するために癌になるという愚は避けたい。
日本ほどレントゲンを日常的にがんがん使う国も珍しいらしい。
ついでに言うと抗生物質もだが。


「太平洋戦争の敗北でも折れなかったものが、今度はポキッと折れた」中沢新一


朝も気持ちよく、昼も気持ちよく、夜も気持ちいい。
下着のゴムなどによる締めつけは身体にとても悪いようで全裸で寝るも朝は寒い。
ベッドに寝転んで本を読む。
壁のあいだから、排水管をつたう水のちろちろする音が聞こえてくる。
遠くからは救急車のサイレン。
ふんどしは売っているのか。自作か。



devastation in Japan


2011.05.11 柑橘系の香り
mikan no hana



南風のせいか、異様に蒸し暑い日が続いている。
蒸される感覚をあっという間に取り戻すのは日本に住み慣れているからか。


そんな湿り気に混じって微かではあるが、
どこからともなく爽やかな香りがしていた。
洗濯用の洗剤の残香かと思ったが近くに蜜柑の花が咲いていたので、
きっとそれだろうと思った。


こうやってただ花が咲くということがとてつもない偉業に思えてきた。
会社の駐車場にあるこの蜜柑の樹には多くの白や黒の蝶が集まっていて、
それは精神が思わず高ぶってしまうほど幸福な風景で、
会社が潰れないで存続しているのはこの蜜柑の樹のおかげなのだとさえ思えてくる。


ニュース映像で傷一つない福島原発を見て戸惑う。
深刻な戻れなさの世界に揺れていたけど、
こんなにも簡単に戻れてしまうものかと一瞬希望を抱いたが、
よく見ると第二原発の映像だった。
事故後のチェルノブイリ原発も双児のように酷似している。


原発の中継ライブを見ていたら、さりげなく4号機も、
滅茶苦茶になっているのに今頃気づく。
たしか1号機と3号機が爆発したのは追っていたが、4号機はいつ爆発したのだろう。
決定的な崩壊は気づかないうちに訪れ、まったくだしぬけに致命傷をつきつけるとは、
フィッツジェラルドの言葉。


ある文芸評論家が東京で大地震後に研究室に戻ったら、
蔵書が本棚からバラバラに崩れ落ちていたものの、
床に崩れ落ちていたのは新刊本とか流行の本ばかりで、
古典などの本はしっかりと棚に残っていたというエピソードに深く得心す。
震災を境にいるものといらないものがはっきりした。
新刊本は棚の手前に並べがちというツッコミはあえてしなくていい。


moscow91さんのブログ。石巻の写真。
その場所から 少し離れて


崎津



端っこに行きたくて、天草エリアに出かける。
端っこに行けば、イオンとかユニクロとかの均質な風景から逃れられる。
でも端っこには火力やら原子力の発電所があったりする。


遍在するイオンとかユニクロを見るたびに、今の生を強制されてるかのような気分になる。
馴染みの薄い不知火とか宇土とかいった地名を道路標識で見るとかすかに生が活気づく。
コレジョやオラショ、ハライソといった言葉には血の匂いさえするが。


天草の作家石牟礼道子の『アニマの鳥』を読みたかったが本屋にはなく、
世界文学全集にも収められた『苦海浄土』を買って読む。
連休終わりの軽い読書のつもりだったが、とうとつに打ちのめされた。


以前からなんとはなしに気になっていた洋菓子屋に立ち寄ると、
以前から気になっていた人がそこで働いていた。


1000年に一度のものが今起きるという世界の深さを受け入れたい。
そこにセザンヌの絵画やベケットの小説、ドゥルーズの哲学があり、
五月の光も私と他者の生と死もそれとともにある。
1000年に一度のものが今たとえ起きなくても、つねにそうなのだ。


「なぜ別の革命が今や可能になったと考えないのか」ドゥルーズ=ガタリ


sazanami


創世記ソドムの滅亡19章
「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい」(中略)ロトの妻は後ろを振り返ったので、塩の柱になった。


生きているかぎり否応なく別れという出来事と、幾度も幾度も向き合う事になる。
振り返らずにはいられない。


生きている者同士であっても、もはや死別と同じような別れもあるし、
死別こそが逆に遍在性を獲得することもある。


あるときから自分は別れの挨拶をすることがとても苦手なことに気づいた。
苦手というかうまくできないのである。
会社などのオフィシャルな場であってさえも、それがうまくできない。
なんとかはっきりとした別れの言明は避け、うやむやにしたい。
また後日会うだろう的な雰囲気で別れる。
いい大人が恥ずかしいことだが、別れの挨拶などはなんとしてでも回避したいことだった。それがなぜなのか自分でもよくわからなかった。


あるとき養老孟司氏の特集をテレビでやっていて、養老氏は昔挨拶ができない内気な少年で、それがあるときふと父の死と挨拶のできない自分は関係があるのではないのかと気づき涙が出たというエピソードを知る。父の遺体を前にさよならと言うことができなかったという。


自分は高校の頃だが同級生を亡くしていてそれは非常にショッキングな体験だったが、それが原因かはわからない。ただ自分もさよならという言葉は発したくない。というかここ何十年も使っていない言葉だったと思う。


人と別れることになったので、か細い声でなんとかさよならと言ってみた。
両肩に冷たい空気が絶え間なく降りて積もってくるような体感を味わう。とても冷たい。絶望そのものの。確かドストエフスキーだったか、おまえはもっと絶望できると言ったのは。何度も振り返った。



2011.05.01 ある陰翳
霞



五月。
四月とはなんだったのだろうか。
春の小躍りしたくなるような日はほとんどなく、
ただ消耗し、疲弊し、狼狽していたような。
いやどうだったのかさえ、朧げな一ヶ月だったような。
でもまあとりあえず五月みたいなので。


黄砂がひどくて見通しが悪い。
ほんとに景色が黄色みがかっている。
中国核実験での放射性物質がこの黄砂に付着してないことを祈る。


生肉問題をスケールアップすると原発問題とフォルムが重なる。
お金儲け最優先。
焼き肉屋社長も福島県知事も被害者になることで身を守るところも同じ。



河本英夫『飽きる力』を読む。
いくつか決定的に重要なことがさらりと書かれていて、
何度か戻っては進みを繰り返す。


「過去に生きる」ことに飽きる、との言葉に立ち尽くす。
いつのころからか過去を振り返ったり、悔やむようになったのは。
子どもの頃は前しかなかったわけで。
被災地では、子どものもつその前へ進むしかない力が周りに元気を与えている。


昔、友人が冬の終わり頃に会うやいなや「もう冬には飽きたわ…」と、
ぼそりと呟いたことを思い出す。
それはとても重苦しいため息似たつぶやきだった。
寒い中やっとこさ布団から出て、厚手の服を着て外へ出ることの反復に、
息が切れて…その感じがすっと伝わってきた。


自分のやり方、いや生き方そのものが間違っていることに気づくのは難しい。
気づいても直視するは恐い。
それを方法論的にやり直していくのはさらに難しい。


連休中は容易に昼夜逆転の生活をしてしまうけど、
深夜はあらためて静かだなあと思って、この静けさを抱きしめたくなるほど。
それほどに静けさから遠ざかっていた生活をしていたのだろう。


そんな小雨の蒼暗い深夜に少し表に出てみる。
皆どこかへ出かけているのか、
いつも車で埋まっている大きな駐車場が今日はがらりとして、
その隅に大きな栗の木があることにはじめて気づいた。


「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている」

「事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない」


「諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う」
『陰翳礼讃』谷崎潤一郎


『飽きる力』を引用しようと考えていたが、『陰翳礼讃』をひもとくと、ついすべての文章を引用したくなる。


九州でもこの夏、計画停電の話があるが、日本の夜は明るすぎるからこの機会に暗さを楽しみたい。子どもの頃、何度か停電があって、ロウソクの灯りにわくわくしたような記憶が。ドリフの停電ハプニングも素晴らしかった。