2011.03.14
ニャースのうた

感情が高ぶっているのか、世界がまるで違って見えて仕方がない。
もうそれ以前には絶対に戻れないという漠然としたもの。
どこを見て歩いているのか。
カラスがくわえ損ねた木の実が屋根を転がり落ちる音とか、タイヤの微細な振動とか、
雲の形さえも、不穏なものに感じてしまう。
子どもを勇気づけるためか、アニソン(アニメソング)がラジオで多く流れていた。
アンパンマンのうたの歌詞に熱く込み上げてくるものを感じる。
ポピュラーなものが、遠くから呼びかけてくる。
あんなに近かったものが、遠くから呼びかけてくる凄み。
遠くにあるほうがかえって、輪郭がはっきりわかる。
遠くから。
***
ポケモン「ニャースのうた」
青い 青い 静かな 夜には
おいら ひとりで 哲学するのニャー
草むらで 虫たちが
コロコロ チリチリ
おいしそうに 鳴いているけど
今夜は 食べてあげないのニャー
お月さまが あんなに まるいなんて
あんなに まるいなんて
あんなに…
世界の どんな まるより まるいニャー
世界の どんな まるより まるいニャー
(間奏)
広い 広い 宇宙の どこかに
もうひとりの おいらが いるのニャー
同じように 草むらで
ポロポロ チャラリラ
ギターひいて いるのかニャー
ニャースのうたを 歌っているのかニャー
ひとりきりが こんなに 切ないなんて
こんなに 切ないなんて
こんなに…
いまごろ みんな なにして いるのかニャー
いまごろ みんな なにして いるのかニャー
だれかに 電話 したくなっちゃったニャー

糞でもしたのか、いぬが後ろ足で土を蹴っているのが2階の窓から見えた。
このいぬ、あるいはその動作と現在東日本で進行していることが全く関係ないことに愕然とした。
このいぬは現在東日本で進行していることと永遠に交わることがない。
だけど自分は現在東日本で進行していることに強く包摂されている。
たとえ九州の片隅に住んでいようとも無関係ではいられない。
ニュージーランドでは無関係だったかもしれないが。
この出来事は多くの言葉を生んでいる。
言わされているだけかもしれない。
燃えさかる炎は沈黙を強いてくる。
今日は日曜美術館はない。
この前、芸大生のクラシック演奏会に行った。
最後の挨拶で代表が、この不況下での芸術という選択はたいへん厳しいということ語っていた。
クラリネット。
クラリネットとこの現在東日本で進行していること。
マティスが妻と娘がレジスタンス活動でナチスに捕まっていた頃にも創作を続けていたこと。
反原発活動を周りから煙たがられながらも続けていたTさんを思い出す。
リュックを背負って、そのリュックに原発の危険性を書いた幕を張ってとにかく歩き回っていた。
自給自足でほとんど電気を使わない生活をしていた。
今日は長い長い誕生日だった。
まったく役に立たないことであっても、じぶんにとってのっぴきならない魂に直接かかわるようなことがある。
大分弁に「すもつくれん」という方言がある。
語源はわからないが、推測するに鳥の巣もつくれないほど役に立たないということだろう。
じぶんは周りからすもつくれんと言われるようなことばかりをやってきたように思えるけど、それをやっと最近肯定できるようになった。
廃墟がじぶんを支える唯一なものだった。
散歩中のいぬが、後ろ足で土を蹴っていた動作がとにかく素晴らしかった。
中型犬で後ろ足のももの筋肉が締まっていて。
2011.03.09
逆立ちしても

逆立ちをすると体にいいということは知っていたので、
さっきやったら頭だけではなくて、全身が爽快な、薄荷を味わったみたいな、
スーとした感じに包まれて、軽くなったのでブログを更新する。
野口整体の本を読むと、「スー」とする涼しくなるということがよく書かれてある。
つまりそれは発散の過程なわけだが。
自分が何によって発散されるのか知っておくことは重要。
ドライブや博打、セックスとか祝祭とか読書とか。
瞑想でも温泉でも、現像の暗室でも。
発散されることとともに場所とか時間とか、対人とか。
野口整体にせよ、野口体操にせよ(違う人だが)、
自分の名前を頭につけたというのは、看板の意味合いもあろうが、
そうとしか名付けようのなかった体系、だれもまだ到達していない地平に
踏み出してしまったということが大きいのだろう。
冬の間に体が凝りに凝り固まっている。
そうなるとイマージュも凝り固まったものになってしまうから逆立ちをする。
スーとする。
猫ってっぐにゃぐにゃしてるイメージがあって、犬は逆に固い筋肉質のような。
この身体性と猫は気まぐれ、犬は従順ってことと関係があると思う。
そういう意味でもストレッチとかヨガは重要だ。