2010.09.30
変身

朝、中学生が登校方向とは逆に走っていた。
おそらく忘れ物かなにかしたのだろう。
朝に逆走することの無益感。
夢でよく見るこの種の無益な忘れ物。
でもそもそも忘れ物をしても取りに帰らない人もいるだろうし。
取りに帰っても。走らない人もいるだろう。
自分は走って取りに帰るタイプだ。
不意にすべてが変わっていくような気がした朝だった。
古く汚れたものがすべて流れ去って、新しいものが訪れる。
そういう感覚が、予感よりももっと強いしっかりとした実感で迫ってきた、
(あるいは内側から)朝。
正月とか4月に感じるような感覚と言えばよいのか。
コトバにならないけど、なにかが訪れようとする気配が濃厚にわかる。
人間にも古い皮を脱ぐときというのが、生涯で何度かあるのだろう。
こういうときは静かにしていたい。めったにないから。
これからブログの更新がかなりとびとびになると思う予感。
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2010.09.28
特筆すべきことはないが

半袖ではすこし辛いくらいの朝。
雨が降って、いい具合に草の匂いがしてくる。
ずっといいアイスにめぐりあっていなかったけど、
夏が終わってやっと好みなアイスに出会う。
遅すぎる早すぎる。
ベッドを寝室に移動させる。
居間にしかエアコンがなかったので、居間にベッドを置いて寝ていた。
人が来るたびにそのことを説明していた夏。
テレビの哲学討論。
目の前に中国人と日本人が溺れている。
一人しか助けられない。
あなたは日本人だ。どちらを助ける?
その場その時でわたしは決定する。あらかじめ想定して考えることができない。
そしてその時自分がした選択は正しかったかどうか誰も判定できない。
一生背負う難題となる。
正しかったかどうか一生自問し続ける。
問いだけが深まっていく。
2010.09.24
ムーン・パレス

月がきれいに浮かんでいる。
女の人と夜散歩をしていて「月がきれい」と言ったらそれはキスをしてもいいというサインだということを寺山修司はどこかに書いていて、今より1000分の一くらいの情報量しかなかった10代のころはそれをほんとに信じていた。
今日はいろんな人が月がきれいと言ったにちがいない夜。
こんなよい月を一人で見て寝る 尾崎放哉
2010.09.23
書かれたもの

朝起きたら部屋が暑くて強めにクーラーをつけて涼む。
昼に玄関先を出たら外は予想外に冷え冷えとしていて、取り残された感じがした。
たしか浅田彰氏が以前に本を最初っから最後まで読むやつは馬鹿だみたいなことを言っていた。
今ある若くして急逝した作家の小説を読んでいるが、どうにもおもしろくない。
書評がすごくいいので、最後まで読めば面白くなるのだろうと期待して読んでいるが、どうにも辛い。
映画でも小説でもそうだが宣伝とはいへ、おもしろくないものをおもしろいと言ってしまうのは相当深刻な罪だと思う。
死者を冒涜するつもりはないが、死んだ事でその作品が何割増かおもしろくなるということはない。絵画なんかだと価値が上がったりするのだろうが、小説や映画はそういう商品ではなかろう。
2010.09.22
命懸けの変換

換気扇のひもを引っ張る力と照明のひもを引っ張る力は全然違う。
だいたい付いているひもの太さも違う。
でもさっきなぜか両方を同時に引っ張ったら、両方ともつい同じ力で引いてしまって、照明の方のひもが切れた。
笑えば泣くやうに見える顔よりほかなかつた 尾崎放哉
田中小実昌。
「こみまさ」と打つと「小実昌」と一発で変換されることのよろこばしさ。
深い深い森で一人遭難してしまい絶望の淵にいるときに人と出会えたような変換。
2010.09.17
時代

少女時代
破壊的なまでのクオリティ。
ここまでやられると日本の女性グループアーティストは今の席を失ってしまうのではないか。
最近の歯医者の麻酔注射は全然痛くなくて、これがかえって気持ちが悪い。
魔法をかけられたみたいだった。
麻酔注射を打つぞという始まりも。打ったぞという終わりもなく。
それらが曖昧なままに徐々に痺れ始めて治療が始まる。
帰る時もなにかが足りない気分で治療費を払う。
なぜかここの歯科医院は美人揃いであることに気づく。
ころりと横になる今日が終つて居る 尾崎放哉
2010.09.15
“かたち“の発見

ヒグマ襲撃事件の記述をウィキで読んで寝たら、夜中にヒグマに襲われる夢を見て、思いっきり汗をかいて目が覚めた。
柳宗理のデザインしたスプーンで毎朝ヨーグルトを食べる。
見れば見るほど、使えば使うほど、そのかたちにため息が出る。
たぶん女性が眩い宝石を見てため息をもらすのと同じだろう。
そしてなぜかうまくこのかたちを記憶できない。
いつも見るたびにはじめて見たかのような驚きがある。
それは“美”が最終着地点ではない、その先にある普遍みたいな、それも新しい普遍みたいなものにこのデザインが触れているからだろう。つねに更新される伝説みたいな。
“かたち”というものは柳宗理によってはじめて発見された、と言いたくなる。
2010.09.14
ユリイカ

朝起きたら体が冷たくて、やばっクーラーつけっぱなしで寝てしまった…と思ったら、
そうではなくて外気温自体がとても冷え込んでいた。
秋の朝の冷気の記憶が唐突によみがえった。
***
ある上司はとても頭がいい。
たぶんの私の3倍くらい頭の回転が早く、もう定年間際の人間なのに理解力も凄まじい。
でも話しているとどうしようもない違和感をおぼえてしまう。
それは「わかっている」「理解している」ということの欺瞞だ。
それがわかったと思ったところは、すでに死んだなにかで、それはそういうものだと断定してしまうことの腐臭が漂っている。断定したい。断定すると楽だろう。
だけど私の考える本当の頭の良さとは、不確定さを不確定なままに断定せずに持ち堪える力のことだ。
まあもちろんそれは狂気だけど。
でも一番の違和感は、こういう文脈を考えることもなく自信をもっていることへの態度なのかもしれない。
私のこんな概観はビジネス上の成功には百害あって一利なしだろうけど。
2010.09.12
前方への逃避

山に登ったら、頂上はすっかり秋めいていて、
流行を先取りしたみたいに、だれかに自慢したくなった一瞬。
小さい秋というより大きい秋を見つけたというより、見てしまった。
写真は全然関係ない。
いろんなことがありずぎて興奮したのか今日は3時とかに目が覚めてしまう。
もうちょっとやそっとでは眠れない。
こういうときは軽作業が向く。
平凡な生活を送っていると、一日に起こる出来事の質量はだいたいこの程度みたいなものが決まってきて、そういうのを平和とか安定したとか呼ぶのかもしれないが、それは欺瞞で実際はよくよく見てみると、かなりスキャンダラスな天国と地獄が日常の端々に現れ出ているのに、たまに気づいて慄然とする。
この脅かしが私を駆動させる唯一のもの。
2010.09.08
温泉と犯罪

ちかくの別府の秘湯で殺人事件。
たしかにここの湯は十年くらい前までは地元の人だけが知るような秘湯だったが、いまではふつうにガイドブックなんかで紹介されてしまって、いろんな人が来るようになった。
地元の有志の人たちが掘り出して手作りのちいさい温泉をつくった。照明もなく夜は各自ろうそくやライトを手に入った。もちろん混浴でそれぞれの良識にまかされており、明文化されたルールなどはない、サルやイノシシも一緒に入れるような雰囲気のまさに秘湯だったと思う。
それが最近では車上荒らしや盗撮魔や女性を追い回したりするような者が出てきたらしい。それがこういう殺人事件にまでつながるとはなんともやりきれない。温泉というものは殺人や犯罪といったことと真逆のなにかであってほしい。人間の丸腰の、素の状態でいられる温泉という避難場所。亡くなられた方のご冥福お祈りします。