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2010.08.31 Il n'y a rien
michi038


さいきんは特になにも書くことがない。

ネタはたくさんあるのだが、ネタを書いていくというスタンスではないので、書かれることが書かれるべきときを待っている。

でもこの書くことがないという状況はじぶんにとってなにか満たされているのだと思う。

なにかが欠落、あるいは過剰だったりしたときに、たぶんここに書きたくなる。

均衡、動的な。



***
三井寺の国宝の障子をイノシシが破るというニュース。

イノシシには国宝の価値がわからないというのは自分にとって重要なことだ。

ブードゥーの呪いが外国人に効かないことと似ている。

なにもないことが難しいなかで、特筆すべきことがないことはすばらしい。

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山羊



地元には大きな工業地帯があって、そこの夜景の煌めきは「ディズニー」と呼ばれている。

そこはデートスポットやナンパスポットになっているけど、

ディズニーと呼ばれるほどロマンチックではなく、

かなり荒涼としていて、むしろ不吉や哀愁すら漂う。

命名のセンスは悪くないけど。

そしてここに集まるひとたちは誰もこの夜景を見ていなくて助手席のシートを押し倒していた。

人工灯


夏になれば怪談話や心霊ドラマが多く出てくる。
盛夏にゾクッとして涼をえようとする発想はすばらしいが、
表現のレベルとしては年々落ちていっているように思える。

襖を空けると大きい効果音が響いて幽霊が出てきたり、
振り返るとまた大きい効果音がなって視聴者をびっくりさせる手法が濫用されていて質を落としている。
びっくりすることと恐怖することは似ているようで全然違う。
びっくりすることはその場かぎりのショックを与えはするものの、
あくまで一過性のわかりやすいこけおどしで、恐怖表現とは言えない。

これをやることが恐怖を演出していると勘違いしている。

たとえば稲川淳二の怪談表現はとても静かだ。
ワッとおどすような低級なことはしない。
静かに語りあげて、余韻に震える。
心底ゾッとし、一人で眠るのが怖くなりさえする。

恐怖ということで話を続けると、今日ニュースで死刑執行の現場が公開されていた。
そのあまりの清潔な空間が恐ろしかった。
薄暗いコンクリートうちっぱなしのような空間とかではなくて、
新築マンションのような、あかあかとした無菌の空間にゾッとした。


恐怖は人を真面目にする 高橋洋


michi037


夜は鈴虫がかなり盛んに鳴いている

音だけで涼しさを感じる文化の成熟度はとても高い

きょうは片道100キロほどの運転をする

途中長めのトンネルがいくつかあって

そのトンネルに潜るたびに

雰囲気の似た昔よく通っていたトンネルを思い出して

その当時のモードになってしまって

でもトンネルを出るといまの日常に戻され

そんなことを何回も

トンネルは子宮から出る長い暗闇の通路なのか

死ぬときは真っ暗なトンネルを通るともいう

生と死そしてなにより重要なのが再生

そんなことをまさに通過/儀礼として今日は反復体験していたのかも


2010.08.25 夏の冬
michi036


朝方に強烈に足がつる

いままではつっても

たいていやり過ごせたが

今回のは強烈すぎて

ううっと思わず声がもれるほど

朝方いつのまにつけたのか

クーラーがつきっぱで

思わず寒くて目がさめる

夢は冬関係の夢だったが

中身はわすれた

けっこうごわごわしたのを着ていたから冬だと思った

きょうは少しだけ涼しかったのは気のせいか



雲のかたち


放哉なう

海の青さのたのしみ尽きず

冷たい手で手をにぎられた

雑誌をばらりとあけた朝

風にたほれた藤の枯棚起す力なし

大空のました帽子かぶらず

今朝の夢を忘れて草むしりをして居た



***
暑さは続くものの蝉の勢いは序々におとなしく穏やかなものになってきているのがわかる。
台風がすくない。

このまえNHKで終電後の東京を延々と見せていく番組をやっていた。
すばらしい。
なんだろうこの東京の終電後のなんともいえない寂しさと甘い感じ。
車の音が絶えるのは正月くらいか。

寒いのだけどあったかいというか、
完全にともしびが落ちない哀しさの東京。



だれがそのともしびを待っているのか。



あのときの2008年頃の海の光


なんかひとつずつブログのテンプレートのパーツが消えていっている。。
なぜか笑える。
最後は消滅してしまうのかな?
まあそれもありか。

きのう生演奏のやってるバーへ行く。
なんか家族連れさえちらほら見られる健康的なバー。

そこはサプライズ演出で誕生月のお客さんには花束を演奏者の人からプレゼントするというものがあって、いつもこれをはたから見ていると本当に涙が出てしまう。そこに居合わせた30人くらいの見知らぬお客さんと演奏者がその誕生日を迎えた人にハッピーバースデーの歌を歌うのだ。5人の娘を無事に育てたお母さんが娘たちから祝われたり、老夫婦がお互いに祝い合ったりとケースは様々。きのうは小学校5年生くらいの少女がお母さんから祝われていて(おそらく話の文脈から母子家庭で)あまりの突然の事に、その少女はずっと泣いていて、たぶん嬉しいとかそういうことを越えた涙で、見ているこっちが涙が出て仕方がない。大人の涙というのは重いけど、子どもの涙もまたとてつもなく重いことに気づかされた。

2010.08.17 硬化をほどく
夜火


テンプレートの画像がなぜか落ちている。
しばらく待ってみよう。


近所の女の子が小さいピンク色のチャリでただひたすら家の周りをぐるぐる周回している。
なんでこんな無目的なことができるのか。
大人だったらなにか阿呆扱いされるかもしれない。

子どもの頃を思い出してみる。
自転車に乗り始めた頃の疾駆感や身体の平衡感覚と無限に遊んでいたような気がする。
補助輪のないアンバランスさがたまらなく楽しく、慣れてくると片手や両手を離してみたり。
そう言えば遊具なんて全部自分の平衡感覚が崩れるのと遊ぶためにある。
まだ多分自分の身体の軸みたいのが固まっていなくて、
その軸がぐにゃぐにゃと揺らいでいくことがとてつもない快楽で。
どうしていまはこんなに固くなってしまったのか。
たまに逆立ちをすると楽しい。

2010.08.16 やさしさ
小川珈琲


家でのむ珈琲はいろいろ試したけど、今はこの小川珈琲店のものに落ち着いた。
香りも味も深くあっという間に中毒に。。

珈琲もタバコも魂に優しい。

タバコを吸っていた頃、休憩時間に喫煙室で石になったかのように、
ただぼうっと黙々と(モクモクと?)煙を出していた。
紫煙はつねになんらかの、悪しき感情やくすぶったものを同時に吐き出していたにちがいない。

珈琲をのんでいるときも何も考えていない。

何も考えないことがたましいには途方もなく優しい。


2010.08.14 温泉街の情景
ゆきずり


親戚の多くが温泉街に住んでいる。
お盆とか正月にはこの温泉街を訪れることになる。
温泉街の地元の人は夏に温泉に入ったら玄関前で上半身はだかでゆっくりしている。
そんな文字通り丸腰の風景は子どもの頃から変わっていない。
丸腰のひとたちは年をとり世代をかえているだろうが。
戦争の反対語は温泉。

この前、身体は女性だが心は男性の性同一性障害に悩む中学生をNHKで取り上げていた。
散々家族で議論した結果その女生徒は男子の制服を着て登校することに決めた。
そのはじめての朝、家族は男子の制服を着た娘を見て、
「前から着ていたとしか思えない」
「違和感がない。そうとしか見えない」
と口々に語っていて、その光景がとてつもなく美しいものに見えた。

美談とか思いやりとかそういう美しさではなくて、
なにかこう新しく生まれ変わったことの感動というか、
再生のよろこびというか。
そしてそれが白い朝だった、登校の風景。後ろ姿。

すべてのものはその都度生まれ変わっていることに驚きたい。