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自分が今何をしているのかを正確に把握することは実はむずかしい。

ただキーボードを打っているとか、歩いているとか、そういう事象を記述することはできるけど、どのようにとか、なにを考えてとか、なにゆえにとかいった背景を描こうとすると言葉に詰まってしまう。

生といったものの形式はそういった虚空の背景によって囲まれているのだろうか。

カフカとかベケットとかってそういう虚空を愛したのかなと思った。

救いとか悟りといったものがあるとすれば、、それは虚空の中にしかないと思う。



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酔った勢いで仲間数人とSMクラブ(バー?)に行く。
カウンターで酒を呑みながらSMショーを鑑賞する。参加も可能らしい。

以前会社の先輩がSMの知的性について語っていたが、まあそんなことはどうでもいい。
とにかく客が多い。
中年男性が全裸で縛られたり、床に転がったりしている。
SMというのがなんなのかよく考えたことがない。
リアル社会で凄く偉い立場にいる人がMになって屈辱的に貶められ、
精神のバランスをとるという。
現実に床をなめるような生を歩んでいる人は金を払ってわざわざ貶められる必要もないということか。


小中学生のころ休み時間の教室の喧噪のなかで、ふと一瞬みなの会話がやみ、静かになることが幾度かあった。あのシンクロする静寂がうがつ穴に魅せられていた。

このSMクラブでも大きな音楽がやんだあとに襲い来る静寂があって、この波の激しさに打たれていた。この静寂のときに「SMなう!」と発声したら、けっこううけた。


2010.07.27 説明
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服飾における2つの種類のボタン。

ひとつはボタンを穴にくぐらせて留めるもの。
外す時はまたくぐった穴をボタンを縦にして押し戻さないといけない。

もうひとつはオスとメス方式の押してパチッという音が鳴って留まるもの。
外す時は引っ張る力によって外せる。

会社の制服みたいなのが一応あるのだが、それは後者の押して留めるボタンの仕様でのもので着脱が早い楽な制服。

今日、上司のエンドウさんは都合で別の制服を着ないといけなくなった。
その制服はいつもとは違ってボタンを穴にくぐらせる式の上品なものだった。

エンドウさんは仕事が終わって事務所に帰って来て、暑いものだから上着を勢いよく脱いだのだが、いつもの癖で思いっきり引っ張ってボタンを外そうとしたため、ボタンが引き千切れて宙に飛んだ。あんな漫画みたいに宙を飛んだボタンを初めて見た。



2010.07.26 よろこびの泉
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甲子園を目指す球児(球児!)たちを見ていたら高校の頃のある球児を思い出した。

かれは率先して委員長とか生徒会とかに自薦して立候補するのだけど、あきらかにそれは進路を優位に進めるための点稼ぎの行為で、こういうひとがいるのかと心底ゾッとした。野球とかも進路のためとかでボールを追いかけているのかなとも思ってしまった。

それ自体の没入ではなく、その行為がなにかのための手段に貶められていることの無惨さ。

なにしろそれは「よろこび」から一番遠い。

教育は師がよろこびの泉をそれとなく弟子に示せれば充分なのではないか。それが生きるよろこびにも直結している。

(まあ今考えてみれば、課外活動を一生懸命やった者は社会的に評価されるという尺度がそもそも馬鹿馬鹿しいが)

円周率を暫定的に3として教えるという指導が以前あったようだが、円周率はその小数点以下のずっと連なる数字が魅惑的神秘的なのであって、単なる3からはよろこびの泉は湧き上がってこない。π(パイ)という響きや字形も素晴らしい。数学苦手だが。


2010.07.25 座右の銘
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アンケートみたいなやつで座右の銘を聞かれた。


昔サッカー部だった頃は、夏場でも練習中とにかく水を飲むことを禁じられていた。
このときの水への渇望は凄まじくて、雨水でも泥水でも水っけのあるものは口にしたいと思った。
スポーツ医学での警鐘でもあったのか、今は水をどんどん飲むことを推奨しているという。こういう手の平を返したような方向転換はほんとに腹が立つ。あのくるしさは無駄だったのかと。。

忘れることや無視することは構わないと思うが、手の平だけは返してはいけないと思う。

敗戦後日本がその体制を180度変えたときに、大島渚はもう絶対何も信じないと心に誓ったという。

大島渚は倒れていまもリハビリ中なのだろうか。

大島渚がテレビで見ない日などなかったくらい毎日顔を見ていた。

話している内容よりもその声質や抑揚で記憶されていたのかもしれない。

大島渚は自分が苦しくなったときには、自分に対して「ざまあみやがれ!」と言い放つという話を聞いた。

それからfukashi氏の座右の銘は「ざまあみやがれ!」になった。


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朝起きたら、隣の人がパジャマ姿で庭の草むしりをしていた。

人が沈思して草むしりをしている姿はなんだか哲学者のようだと思った。

殺人的な暑さ。

子どもの頃も夏はもちろん暑かったが、こんな暴力的な暑さではなかったような気がする。

それとも自分の身体の適応能力が落ちているのか。

最近はそうめんばかり食べている。

冬には見向きもされないそうめんよ。




めざしを焦がしてしまつた  尾崎放哉



2010.07.22 固い床
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暑い夜はクーラーのある部屋に蒲団を移動して寝る。

クーラーのある部屋の床は板張りで固い。

その固さくる軽い痛みが寝ている時も身体全体に響き回っている。

怖い夢を見た。

床下に白骨化した死体が埋まっているという夢で、

寝ている床のすぐ下で死体が苦しそうに呻いている。

その距離はわずか床の厚みだけだった。

固い床で寝た痛みの刺激がその夢を紡いでいることがわかった。


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あさ、玄関を出ると蝉の声が凄い。

でもまだ夏に突入した実感がない。

蝉と自分の心にとてつもない距離があるのを感じる。

呼びかけられているのに、ものすごい轟音なのに遠くに聞こえる。

夏の光線の強さに驚いている。

すべてに焦点が合ってしまっているかのような世界が立ち現れてくる。

月日の流れるのが早すぎると最近特に思う。



ブルータスのスタジオジブリ特集。
ジブリの会社の職場環境がすばらしい。
社内恋愛OKとか席替え制度とかBARがあったり、各オフィスのそれぞれの機能とかかなり羨ましい。立地が東小金井というのもすてきだ。

「あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい」宮崎駿


ブログはただ奴隷のような生産者に、買っているつもりが買わせられている消費者にならないために続けているのかもしれない。


2010.07.20 ドアーズ
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夏の襲いかかるような閃光の強烈さ。
あらゆる色彩が激しく浮き立ち、光と影のコントラストに目が眩む。

会社では社長の方針でクーラーをつけないことになっている。。
仕事の能率が落ちている。ちと頭が痛い。
クーラーを使わないなら、打ち水とか朝顔のカーテンとかでそれを補う工夫をしないと根性論で終わってしまう。が、いま文明人にもっとも欠けているのは根性かもしれないと思った。やせ我慢というか。



* * *
非常に現実度の高い夢を見、そしてその内容に打ち崩されるようなショックを覚える。

夢というのは抽象度の高い、例えば空を飛んでいるとかもっと曖昧なもやもやしたものといったものから、
非常にリアルで現実感の高い、誰それと会って話をしているとか向き合っているとかがあり、
変に疲れていたり酒が入って浅い眠りだったりする場合は後者にような夢が多い気がする。

見た夢は、非常に尊敬している人と一緒に仕事をしていて、でも自分がやる事なす事ことごとく裏目に出て、それを同僚から指摘され、しかも尊敬している人からも見放されるという内容。その尊敬している人と同僚は実在する人物だが、決して交わることのない時期に夢の中では出会っている!

目覚めた後も愕然としていた。自尊心とかそういったものが壊れていた。

自身の夢を綴り続けた僧明恵は同時に冷静な分析をも忘れていなかった。

自身の存在に揺さぶりをかけてくるようなこの夢は今まさに見るべきものだったと解釈できる。そしてそれがひとつの区切りひとつの終わりであると同時に新しい出発でもあるとの確信もある。

昨日見た「アバンチュールはパリで」で主人公の妻が「夢も現実も同じよ!」と激昂するシーンがあるのだが、このセリフがこの映画の立ち位置を重心をぐぐっと深いものにしていた。



ホン・サンス監督の韓国映画「アバンチュールはパリで」をDVDで見る。
間違いなく今年見た映画でNo.1の傑作になるだろう。

夢と絵画(あるいは雲)と性衝動、ズームとパンをこれほど有機的に構成し得た映画を見たことがない。

東京で電車に乗っていて、とびきり綺麗な人が乗っていて、
でももう二度とお目にかかることはないのだろうな、というような出会いには、
再会を切実に希う欲望が走っているのだが、それを忘れていた頃、
夢に突如としてその押さえ込まれた欲望が噴出した時の世界の裂け目と真実に冷や汗をかくこと。

世界を正直に生きることの困難性と世界が常に要求し突きつけてくる真実の残酷性。

夢がそれらを橋渡す。

この映画ではズームと夢が近い。

ズームがかかる時、夢が始まっていた。

世界の自主映画作家たちを勇気づける映画でもあるだろう。