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2010.03.18
なんだか変におなかが痛い。
ストレス性のものか。
ストレスの実感がないのに、いつの間にストレスが蓄積されているのが一番こわい。

会話とか文章とかに最近のお笑いの影響からか、オチを求められることがある。

オチがないとそれで?とかオチは?とか聞かれる。

そんなに首尾よくまとまることが大事なのだろうか。
まとまると確かにスッキリとはするが、それだけで終わってしまう。

人生にもオチはあるのか。
今日という日にオチはあったのか。

このブログでもオチないことを綴っているような気がする。
魚の骨がのどにひっかかって、流れていかないようなことを。

オチないことは気持ち悪いか。
耐えきれないのか。

オチることよりも素晴らしいことをすこしは知っているかもしれない。


「なぜ、わたし以外の誰もこの門を尋ねてこなかったのでしょうか?」カフカ


天使たち


光電


同じ釜の飯でも、お椀に盛りつけたご飯とおにぎりとして食べるご飯は味が違うと思った。
おにぎりのあのぎゅうっとする作業や手の体温が味を違ったものにするのだろうか。


静かな夕陽。
風は冷たいが優しく懐かしい。
近くで遊ぶこどもたちの声すら遠くに聞こえる。
そういった空間の感覚を、すべてに距離を生じさせる永遠性みたいなものを夕陽には含んでいる。

近くにあるのだけど、絶対手に取ってみる事ができないような距離の感覚。


ホテルの受付の人が北川景子と双子じゃないのかと思うほど、そっくりだった。
北川景子のことはなんとも思ってなかったけど、北川景子に似た人を見て、北川景子のことが気になるようになった。

本人ではないもの、あるいは他者を通じて本人を理解するといった迂回は人間にはよくある。

夢に出ることで意識する存在に昇格したり、噂話でそのことを深く理解したり。

親子や恋人、夫婦といった近すぎる存在などは、死や離別、あるいは日記や手紙、ブログといった迂回路によってはじめて繋がることができるのかもと、ふと思った。

でもその時には、なにもかも終わっているのだった。



yellow


黄色いものが視野に飛び込んでくるようになった。
枯れ野を見慣れた視覚にはそれはとても眩しく輝かしいばかりだった。
桜はすでに春の完成で、その前のささやかな春の声を聞き取りたい。

海のなかの生物たちを追いかけた番組をぼおっと見る。
最近、アフリカのサバンナの動物たちとか、海の生物とかの番組を見ると深いところで感動する。
動きそのものに神秘を見てしまう。
在ることの神秘、さえも。

擬人化したナレーションは最悪なのでもう音を消してみると、すごいものが迫ってくる感じがある。
まるだし真実が動物の生命にはある。
逃げたり、食らったり、交尾したり、隠れたり。
そう逃げることはとても重要なのだった。
みな前方へ逃げるのだった。
倒れるときも前へ倒れるのだった。


食って、寝て、女を抱く。これだけが人生だと安藤昇氏が言っていたのをなぜか思い出した。
こきたない中華料理屋に置かれていた大衆紙にその言葉は書かれていた。



ふきのとうの苦みにはきちんとした自然の摂理からくる理由があるらしい。
冬の間に滞ってしまった代謝の活力を活性化させ、脂肪を流してくれる。
身体を刷新する苦み。
冬眠から目覚めた熊は、まずふきのとうを食するという。
出発の味はまず苦い。


2010.03.15 風に恋して
穴


異様に眠りが浅くて、幾多の夢を見る。
激しく嫌がらせを受けている夢を見る。
でもその嫌がらせを自分は余裕を持って受けている感じがある。

場面変わる。
昔々嫌なことをされて、嫌なことを仕返した人間がリアルに出てきた。
嫌なことを嫌なことで返してはいけないとリアルに夢のなかで実感する。

忘れていた中学校時代のO先生が出てきた。
ぼーと立っていた。
夢枕に立つという感じだった。死んじゃったの?

相当眠りが浅かったのか起きてからもしばらく、夢の中で味わっていた「感覚」というか生きている「空気感」みたいなのが残っていて、起きながらにして夢の中にいるようだった。3分くらい。

外は朝から激しい強風で、眠りの浅さは気圧のせいだとわかった。
昔から台風とか通過して気圧が急激に変化すると、肚に力が入らなくなって、へんな気分になるのだった。
ふわふわするみたいな。

空気の匂いがおいしいのだった。
春の旨味みたいなのが、風の中に含まれていた。



卑猥な歌詞が歌によって生のよろこびにまで届いている。
似ている歌声。本人かとおもた。本人より本人に似ている。コロッケを思い出す。

 ↓  

うれしくって抱きあうよ


2010.03.14 身体所作
armporch


お気に入りのラン・アームポーチ。
こいつにipod nanoを入れてたまに走る。
すぐそばに土手があるのでいつでも走りやすい環境にある。
土手に住んでいるわけではない。
運動不足なのでたまに走ると気持ちがいい。
しかしできればコンクリートではなく土の上を走りたいと思う。

昨日の社会的身体所作のつづき。
コンピューターやインターネットがもっと進化すれば、やがて会社に通う必要がなくなり、すべて在宅で仕事がこなせる時代も来るという話をたまに聞く。たしかにそれで業務は全うできるし人間関係のストレスも軽減されるかもしれないが、多くのものを失うだろう。朝、同じ時間に会社に行き、同じ空間で仕事をし呼吸をすることは、考えている以上に重要な日常の要素だと思う。学校でも家族でもそれは同じで、方向性がたとえバラバラでも身体まるごと同じ時間、同じ空間を共有することは大きい出来事だ。同じ釜の飯を食うという言葉。同じうんこをするとも言い換えたい。


吉田東洋をgoogleで検索したら、吉田東洋についてつぶやいたtwitterの記事がずらずらと出てきた。すげぇ。


新人研修のため教育係となる。
高校卒業したての新入社員と話していると、なにも社会の垢がついていないことに畏れさえ感じる。

社会化はひとつの洗脳というより、身体の側の領域が社会に組み込まれることなのかと思う。

大工には大工の身体の所作があり、事務の人間には事務の身体の所作がある。

高校生には高校生の身体の所作があって、それが会社という組織に入ることで、皮膚のレベルで周囲の身体所作を呼吸をし取り込んでいく。

おそらく職業ジャンルが今よりもはっきりと分かれていた江戸とかの時代では身振りだけでその人の職業がわかったかもしれない。

高校を卒業したばかりのAさんは話しているこちらを見る時に、顔を動かす事なく目だけ動かして、つまり上目使いで僕を見るのだった。常識的な顔の動かし方というものは決して自明でないことがわかった。教育というものの距離の長さを考えると、すこし目眩がした。

僕は常識的な人間ではないし、つねに混沌の側につきたいと思っている。
けれど教育係という役目となると、彼らをプロの社会人として社会化せねば彼らが恥をかくことになるし、恥をかけるときに恥をかかせないと社会化するチャンスを永遠に失ってしまうかもしれない。

社会化することは貧しいことなのか。
まずは「とりあえず」社会化して、その次に自分のスタイルに到達できればいい。

その逆は多難だと自分を振り返って思う。

2010.03.12 lost highway
中1よりも小6の方が大人に見えた。
下級生の世話をしなくてはいけないという役割が所作を大人なものにしているのだろうか。

車で道に迷っていたら、ふとご先祖さまのお墓のある墓地の前に辿り着いた。
ご先祖さまと言ってもお爺ちゃんのお墓のことだが。
最近は凹むことが多かったので、元気づけてくれたのかもしれない。

道が思わぬところで結びついたりする驚きは迷うことの醍醐味。
積極的に道に迷うことあり。

太平洋戦争の激戦区で死線をかいくぐり生き延びた人物がそれから数十年後、家の玄関前で車に轢かれて死んだ。
人の運命というのはほんとわからない。


感動的でさえあった晴れの1日。
晴れであるだけで喜ばしいなど、単純な人間だ。

朝方、鶴見岳を覆っていた片栗粉のような雪も、
日中とともにじわっと溶けて地肌を見せた。

快晴の日がほんと久しぶりの感じで、精神が喜んでいた。

光があるから対象を見るということが成立する。
なにもかもはっきりと見えた。
思いも寄らないところまで光が当たっていた。

夕暮れの桃色の太陽が鶴見岳に落ちていった。
日が相当に長くなっていることにも驚いた。

あっぱれだ。


2010.03.10 倒れる
鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたとのニュースに絶対死んではならない人が死んだようなショックがじわじわと響いてきた。

立っているものはすべて、やがて横になる。

体の芯まで凍える。
シャーベット状の雨雪が降っていた。
暴風が建物をガタピシ言わせる。揺れる。
ドリフのセットのハリボテのように、会社の建物がパタンパタンと折れ倒れたらどうなるのだろうかと夢想してみる。

街中でたまに見かける気になるデザインの車。
名前が分からなかったので、後ろや前にまわって怪しまれないようチラ見するとPAOと書かれてあった。
ヨーロッパ車と思い込んでいたら、日産だった。
以前の日産のデザインはどれも気概があってすばらしい。ラシーンとか走っているのを見るとついつい見てしまう。

PAO

2010.03.09 家路
まどのあたり


車のルームミラーから後方の車の車内の様子がありありと見える。
たとえ夜であっても暗がりの中に人は街灯やら信号灯やらに照らされて浮かび上がっている。
今日の夜の帰りの後ろの車は中年の女性で、吸っているタバコが蛍のように明滅していたのが目に刻まれた。
タバコは体には悪いがたましいにはいいと言った人がいたことを思い出した。
タバコがたましいを解きほぐしているように思えた。
疲れと充実感そしてある種の安堵が入り混じった表情がみなの帰りの顔だ。
哲学や映画は夜から始まる。

とてつもなく急に寒くなって、雨降りの1日だったのに夜はオリオンが雲間から輝いて、香りの芳醇な焼酎をいただいて、それをのみながら、そんなことを思った夜。