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2010.01.22 目的地
かなた


野良犬を見かけた。
ぼくが子どもの頃は野良犬が結構いて怖かったけど、いまはほとんど見かけることがなく、見かけるとなにかシュールな絵画かのように、その存在がとてつもなく不思議なもの場違いなものに映ってしまう。
視点が定まらず、体は薄汚れ、舌をだしながら、ふらふらと目的地もなくさまよっていた。
帰るべき場所あるいは目的地がないのに、足早に駈けていた。
こういったもの悲しさは猫にはない。
なんて猫は自由なんだとほんと思う。畏れすら感じる。

でも完全に野生化した(イリオモテヤマネコのような)猫は案外自由ではない。
放たれて野生のなかで生きる猫は自然というものの絶対的な支配下にはいる不自由な存在。



2010.01.21 out of place
朝、玄関を出ると、じとっと生ぬるかった。なにかじぶんが場違いな場所に出てしまったかのように、足下が落ち着かない、不安感さえある朝の情景。風がこんなにも強く吹く必要があるのか。こんなときに空が割れても不思議には思わないかもしれない。女の馬鹿はかわいいけど男の馬鹿はシャレにならないよねという女同士の会話に背筋が凍りついた。馬鹿になる権利すら男は剥奪されているのか。阿部真央の実家が近い。ファミレスとか吉野家とかの薄利多売のチェーン店で出されるものを食べていると、これはほんとうに人間が食べるべきものなのかと思ってしまう。じぶんはゴミを食べているのではないかと。土はお土さまと呼ばれ、きちんとした精霊あるいは豊かな大地のエネルギーが宿りそこで育てられた野菜を食べる事は、その命あるいきいきとしたエネルギーをいただいていることになるが、そういった外食チェーンの食べ物というのはなにもかも死んでいるのだった。そういったことが食べながらわかってしまう

ひふみよ

夫婦杉


なまぬるい外気温。
昨日と同じ場所に立っても、ちがう場所に立っているかのような違和。
不吉なものの予感さえもただよう、なまぬるさ。
内面重視と言ってた人の恋人がけっこうな美形だったり、わたし面食いなのよぉと言ってた人の恋人がそうでもなかったり、恋愛のまえにあらかじめ準備された予断などなんにも役に立たないどころか、むしろ逆行を際立たせるとつくづく思う。
有言実行の道は考えている以上に険しい。
ひさしぶりの雨の予感に、冬の終わりさえ感じた一日。
雨降って地固まるというが、雨が降らなければ地はそもそも固まらないのだなということに気づいてしまった。


2010.01.19 珈琲時光
きょうは土曜日っぽい火曜だったいやたぶん暖かさによる少しばかりの開放感と土曜日の少しばかりの開放感が似ていたのだと思う月曜から日曜までそれぞれ言いがたい色のようなものがあるTOSHI自分が騙されているということに気づくことほど困難で悲痛なものはないしかし騙されていない者などこの世界にいるのだろうか夢の中でそれほど気のない人と肌を合わせていた夢が現実を先取りするかのように振る舞うというこの偽の力浅田真央ちゃんの顔が観音さまというか仏像顔に見えてしかたがない誕生日の対義語は命日中上健次の恐るべき生原稿を見ると句読点や改行がないウィンナー珈琲を愛す

珈琲時光
2010.01.18 冬の五月
光線


今住んでいるアパートは新しめのせいか、床のコーティング材とかクロスの接着剤とかの匂いがわりと強くするが、住み始めて半年くらい経てば自分の生活臭の方が勝ってくるようになった。そうなったときにようやく「ここに住んでいる」という実感が湧くようになった。けれどちょっと長い間、家を留守にするとまた再び床のコーティング材とかクロスの接着剤とかの匂いの方が優勢になってきて、その匂いがここに引っ越してきた時の高揚感とか季節感とかを瞬時に想起させ、真冬なのだけど引っ越してきた五月の浮き足立ちを再現させられる。

村


特筆すべきこともない休日に開示されるもの。
10時間くらい眠る。
あたらしい腕時計を買いたいという友人に相談を受ける。
SKAGENとかアウトドアならSUUNTOとか勧める。北欧デザインに首ったけ。

環境ボランティアのNPOスタッフに大学新卒の女性をいれることに決める。
責任は重い。そこを辞めても他でも通用する人間に育てなければいけない。
出入りの激しい組織の体質に問題あり。
みな自分の分身を欲しがるけど、そんなのいるわけない。
同じ目標に向かって進めば進むほど、お互いの異質性が際立っていく。

勝間和代の「自己評価に始まり自己評価に終わる」という言葉。
正しすぎるビジネスの言葉に嘔吐感。


誰からも強制されることなく、突如として踊ったり歌ったりすることの方が真。

十字架のまえで

凍滲


いまさらだが、今年のテーマを「成熟」ということにした。でも成熟っていったい何なのか考えていたら身動きがとれなくなった。

社会的に望ましい存在になることをみずから敢然と受け入れることというのは一つの成熟だと思う。たとえば茶髪でロン毛だったのを黒髪で短髪にするとか、結婚してCDやギターを捨てるとか、会社で毎朝行なわれる体操を堂々と受け入れるとか。これは当人にとっては屈辱以外のなにものでもないことだが、それを実践する ことは間違いなく社会的な成熟につながるだろう。

だが、正反対にこういった社会的な成熟をキッパリと拒絶することでの成熟というのもある。
それは社会的にはとても不利な立場に立つということを選択する覚悟が求められるか、曖昧にいつの間にかこういうゾーンに生きていたという場合も考えられる。

ある人たちにとっては前者が当たり前だったり、ある人たちにとっては後者でしか生きようのないものだったり。
 
私も含めたいまの30代近辺の人たちをロスジェネと呼んだりするようだけど、ロスジェネはこういった両者の成熟に引き裂かれた世代のことを言うのではと、ふと思った。
 
じぶんに圧倒的に足りない成熟は前者なのだけど。後者としての覚悟も足りず、中途半端だなとつくづく思う。

じぶんを一度殺すことが成熟なのか。じぶんを生かし続けることが成熟なのか。
どちらにせよ、どちらでもないにせよ生き延びなければならない。
それが成熟なのかもしれないとも思った。

オリオン座の一等星。空が遠い空間把握。
満天の星空ではオリオン座さえも埋もれていたのを思い出す。

たしかニーチェが自分が不名誉になることの表明が成熟への一歩であるみたいなことを言っていたな。


ぐだぐだが素晴らしいのだということを気づかせてくれる。限りない至福感。
フニャン


洋服を選びたい。それでも限りない至福感。
フニャフニャン


目がチカチカする。広いところでしたい。笑顔に救われる。
フニャンフニャンフニャンフニャン


期待値より過剰にうまい。キレがある。そしてなにより爽やかだ。おれは酔っている。
フニャンフニャン


おれがなにか間違ったことをしたのか。しかし限りない至福感。ラカンを超えた。
フニャンフニャンフニャン


みながやればやるほど、オリジナルが際立ち強度を増していく。ブランドを誕生させる戦略。膝をスプリングのように使って腰を力強く上下させるとうまく見えるとか真面目に書いている場合ではない。明日も仕事だし。



2010.01.15 ニュース
地獄のぞき


・出会い系をサクラで運営していたところが捕まったようだ。20億円とか稼いでたとのこと。何百万人という会員がいたそうだ。NHKのニュースがその組織を「出会えない出会い系」と名付けていた。そもそも出会い系ってサクラがほとんどだと思っていたけど。

・会社の迷惑メール処理をしているが、文体がどれも同じなところが凡庸だといつも思っている。芸を見せてくれ。

・目玉の親父の声優が死ぬというニュース。「目玉の親父の声優が死ぬ」という文章にはいろんなものが入っている感じがする。

・中二くらいで身長が190cmくらいあって、まだまだ成長の伸びが止まらず、いかに成長しないかを毎日考え悩み続けていたゴツイ友だちがいた。牛乳はもちろん、魚とかそういう骨になるやつを徹底して拒絶していた。無駄に帰宅部で中学の頃たまに家に行って遊んだ。器用に鴨居とか干してるやつとか頭に当たりそうなやつをすいすいと避けていた身のこなしを思い出す。あるとき、部屋でエロ本を読んでいたら、なにか大事にしていたエロ本が処分されてたみたいで、キレたその友だちは巨体からありあまるエネルギーを爆発させながら、台所に行って「ママっ!勝手に部屋に入るなよ!」と怒鳴った。「ママ」という呼称が衝撃的だった。「ママ」は何歳まで許されるのか。変え時を失ったのだろう。

・寒い冬には人が多く死ぬ。身体でも内臓でも冷やすということはよくない。生命というものの本質に熱がある。ホットミルクでも温泉でも人肌でも暖かいものは気持ちがいい。気持ちがいいものは正しい。

・極寒のシベリア抑留で、人が死ぬ前というのはノミがささっと逃げていくからわかるという手記を読んだことがある。

・他の季節はそうでもないのだけど、冬は2月末くらいあたりから飽きてくる。やっぱりなにか冬は一様な感じがあるのかもしれない。服とかのせいかもしれないが。



ふたたびラカンに関する記述。孫引き。
「象徴界は反復によって現実界に働きかけるが、決して現実界そのものに変わることはない。日常的な現実は、現実界から構築されるのを待っている」


一位


きょうも昨日のように寒かったのだろうが忙しすぎて、寒さすら忙殺された一日。
失恋するとバイトをいれまくってた友だちがいたが、忙しいことはいろんなことを忘れさせるのだろう。

冬にお風呂につかってゆったり暖まって極楽だと思うと、家に帰っても身を暖める湯もないというある小説の一節をいつも思い出すのだった。


 
ラカンに関する引用。孫引き。
「精神分析においては、他者は個人とは関係なく、自律性をもったひとりひとりの自己が幻想として扱われる象徴体系として論じられる。他者とは現実を決定したり、私たちの選択を指図したりするようなものではなく、実現することのない約束を介して構成的な欠如を乗り越える構造である。すなわち他者は、もし受け入れられて利用されないと、自己と社会に悲劇的な結果をもたらす、ある種の欺瞞を介して働くのである。」
 
まわりくどいがとてもとても重大なことが書かれている。


芸人は最下層の人間である。有吉