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2009.10.31 不在のふとん
otentosama


まだ日が昇らないうちから出勤したら、家の前の畑ですでに作業をしているおっちゃんがいた。日が昇るまえの深い青一色の風景でかすかにひとの動いているのが見える。畑でなにやら作業をしている。生の厳粛さというか、荘厳な時間を感じてしまった。朝という時間。なにかが始まっていく感覚。初速。はじまり。商店街なんかシャッターをがらがらと開けたりする音とか好きだ。
父は朝2時半に起きて働いている。なんでも大袈裟に言う人なので、まさかと思ってたけど、実家に泊まったある深夜、2時半すぎにトイレで目が覚めたら、もう父親はいなかった。からっぽのふとんで、父のいた窪みの形が残されていた。その主のいないふとんは、労働の厳しさや生きることの厳粛さをはっきりと伝えていた。どんなことよりも。父はそんな生活をもう20年以上も続けているのだった。17時頃に帰ってきても父の携帯は鳴りやむことなく、神経を休ませない。携帯のなかった時代が牧歌的に思える。携帯はほんと凶悪な発明品だよ、やっぱり。

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2009.10.30 会議は踊る
ochiru


上司の遠藤さんは眩しいときはサングラスをかける。レイバンと呼ばれるものか、西部警察の大門がかけるような、ごついヒットマンのようなサングラスをたまにかける。たぶん度入りサングラスなのだと思う。けっこう似合っていると思うが、見た目は怖い。
以前、経済産業省とか資源エネルギー庁とかのお偉いさんが集まる会議が博多であって、2人で出席したときのこと。車で行ったので、けっこう朝日が眩しくて遠藤さんはそのサングラスをかけていた。現地に到着して車から降りても、遠藤さんはサングラスを外さずそのままだった。まあ、たしかに人はサングラスをかけていたい気分もあると思い、僕は特に突っ込まなかった。でも遠藤さんは会議の席についてもサングラスを外さず、そのままでレジュメを読んだり質疑応答をしていた。大勢の官僚エリートの出席者が卓を囲むなかのサングラスの遠藤さんは異様だった。物言いは柔和なのだが、外見は激しかった。どの発言もすべて冗談に聞こえた。
書かれたレジュメをしげしげと眺めていた遠藤さんはとっさにサングラスを外して、「なんか暗えなあと思ったら、サングラスしたままやった。ふふ」と一人苦笑した。もう会議は終わりに近かった。


0:00pm


「ファンタジーは現実からの逃避ではなく、現実をあらたに捉え直し到達するもの」

エンデの語る映像がNHKで流れている。どの言葉もおどろくほどの啓蒙に富んでいる。



きのうの記事に自分が書いたことばを反芻している。


自分が欲しいものは自分で勝ちとっていくねん。誰が勝ちとってくれるんねん。


この言葉が吐かれた映像は凄まじかった。これもまたNHKだが、体が自由に動かせない病に苦しむ男性が床に伏しているというか、放置されているような状態で彼は目だけをギロギロさせて周りを見ている。その彼に対して同じ病をもつ先輩がその部屋にやって来て吠える。床に伏している彼はうう…という言葉にならない言葉を漏らし、目をギロギロさせて反応している。


こういうシチュエーションで使われた言葉なのだった。


ぼくは彼らを見習って五体満足だから頑張らなければならないということを書きたいわけではない。各々の与えられた条件を比較することになんの意味もないだろう。自分がアフリカで生まれれば、自分が江戸時代に生まれれば、いまとは違う生きることの条件が課せられている。



ただ単純に自分の生の条件がなんであれ、自分が本当に欲しいものは(あるかどうか)、自分のみが勝ちとるための努力(ここでもっともピンとくる言葉)をしなければならないし、それは他者が代わることのできないもので、ここに立ち上がるものこそが「おれは存在した」と呼ぶに値するものなのではないか。

唐突だけど、チェ・ゲバラとかフーコーとか、自分の憧れる人間たちはみな、そういう生を〈選択した〉のだと思う。みずからの主体で。そうとしかあり得ない強度で。自分の半端さが恥ずかしい。



自分は一時期流行った〈自分探し〉というものにずっと懐疑的なのは、自分にフィットするなにかがすでに用意されたなにかがこの世界のどこかにあって、そのどこかを自分と都合よく混同し、彷徨い求める怠惰さ、甘えが嫌だったのだ。自分の足元を掘れよ。遠くに行かずに。自分に言い聞かせる。



tourou2009



自分が欲しいものは自分で勝ちとっていくねん。誰が勝ちとってくれるんねん。


生まれつき半身不随で、自由に動くことも流暢に話すこともできない病に苦しむ男性。床に伏して、国や自治体のケアが充分でないことを嘆き悪態をつく彼に、同じ病をもつ仲間がその部屋にやってきて、罵声を浴びせるかのような大声で言ったことば。

自分が欲しいものが、すでに世の中にある人はある意味幸せかもしれない。それは社会との摩擦係数が最小限で済む人生を送り、慣行やシステムに疑念を抱くこともないだろう。みなと同じように感じ、みなと同じように笑い、みなと同じように泣き、みなと同じように死んでいく。


それができなければ、世を恨み続け不平不満の毎日を送るか、社会と格闘して自分が住みよいように変えていくしかない。

(昔、ユキヒロタカハシの服をよく買っていた。自分の体系は痩せ型なので、自分の好きないい感じにフィットするサイズ、パターンの服というのは極めて少ない。デザインというよりサイズで服を選んでいるようなところさえある。自分で着たい服は自分でつくるしかないんだとさえ思った。でもユキヒロタカハシの服は自分の体に合った。高橋幸宏はすごく痩せているから、たぶん自分の体系に合う服をつくっているのではないのかと思った。芸術って、こういうものではないのかと。じぶんにしっくりくる世界を創造していくという営為)



人間の努力は、生きられる場所を得るという一点に向けられている。
レヴィ=ストロース




***
あるひとりの女性の周囲で多くの男たちが死んでいっているニュース。キャスターがこの事件を報道する際に、その女性は「女」と呼ばれる。
特に女性キャスターが「女が」と呼称する際の、ある種の犯罪者への報復感が言葉の、特に発話された時に感じられる。いまのところ被害者に名前があるが加害者にはまだなく、「女が」と呼ばれ続けているのも興味深い。その一方で皇室報道では「さま」とつけられる。そういったシステムの中に、とりあえず僕は生きてるみたいになっているようだ。

この蟷螂の写真は地となっているコンクリのひびが好きだったりしている。


2009.10.27 さすらいの友
senaka

会社の事務所がネコの通り道になっているのか、なんかいつの間に足元にいたりする。そしていつの間にか去っていく。それを誰もとめることはできない。


2009.10.26 存在と時間
2tousitsu


高速道路の無料化のせいで、大分-東京を結んだ特急富士に続いて、片道7000円の大分-大阪を結ぶダイアモンドフェリーもなくなってしまうかも。すし詰めで寝かせる人権無視の前近代的な二等席が好きだったのに。ひとりで乗船すると、こんな寂しい乗り物もない。昭和的なるもの。日本はサービスが過剰すぎる。きめこまやかと言ってしまえばそれまでだけど。


仕事で市営団地の各家庭を訪問する。どの家庭も数十年そこに住みついている人たちばかりで部屋という部屋にそこにながれた時間の澱というか、厚みを感じてしまう。当たり前だけど、その住戸はその人が住む以外にないものになっている。壁の染み、匂い、空気感、明暗、音の強弱…どれをとってもその家固有のなにかをいかんなく表現している。韓流のポスターで囲まれている部屋もあれば、ジャイアンツのグッズ、釣り道具、Hビデオ、子供のかいた絵で囲まれている部屋もある。そして各人それぞれに物語がある。同じ間取りに皆住んでいる団地を横断的に見ていくから、余計に各戸の差異が際立つ。妻に先立たれ身寄りもないおじさんは、内緒でネコを飼っている。こんな太ったネコは初めて見た。顔が人間っぽかった。なんとなく。おじさんはネコと対等に会話をしていた。もう死ぬ運命だったそのネコを20万出して蘇生させた話など聞く。だれもが皆、語りたい話をもっている。驚いたのは10年くらい動かさなかったテレビはその台となっている家具と完全に同化してしまっていて、テレビを持ち上げようとしたら家具もくっついて持ち上がったこと。まだ売れてなかった頃の芸人FUJIWARAの藤本が罰ゲームかなにかでバスでアメリカを何週間もかけて横断するはめになって、はじめは元気だったのだが、日がたつにつれ疲労困憊してしまい、バスに座りっぱなしで完全にバスの椅子と同化してしまって生気を失い、椅子から立てなかったシーンを思い出した。


syuukaku

稲刈りが各所で行われ、この季節のふたたび大地が剥きだしになる荒涼たる風景が嫌いではない。祭りのあとのような虚無感と達成感の充実ぶりがしずかに残響している。
いまはほとんどが機械で稲刈りが行われるため、はさ掛けと呼ばれる、刈られた稲を田んぼで干している光景を見ることが珍しくなってしまった。機械を通すと、稲は粉砕されてしまう。粉砕されれば、その周辺にある稲わらの文化も消えてしまう。編み笠、わら草履、米俵、しめ縄、土壁、納豆などなど。稲わらが減って、ユニクロが増えた。

はさ掛けが減ったのは、儲からないからに他ならない。はさ掛けされた米が店頭に並ぶことはまずないだろう。食べたことがあるが自然乾燥されたお米はめちゃくちゃ旨い。が、手間がかかるから店頭に出せば相当な金額にならないと利益がとれない。だからはさ掛けされたお米は、自家消費するか親戚や友人に配るかで終わってしまうだろう。




otesei




以前、米作りをした際に余った稲わらで納豆をつくったことがあった。大豆を蒸して稲わらに包み、発砲スチロールの箱に湯たんぽを入れて2日間ほど寝かせると、糸を引いた納豆ができていて感動した。稲わらの中に納豆菌がいるのだろう。大豆が柔らかくなりすぎて歯ごたえがいまいちだったが、味は旨かった。スーパーで買えば、たれ付きで100円くらいだろうけど、そんな経済原則とは別に大切な時間がこの稲わら納豆のなかに流れているのを感じた。



米作りが中学とかの教育カリキュラムに入ればいいのにと思う。社会、理科、体育、道徳…さまざまな要素が机上ではない体験として習得できるから。




yuragu komedukuri
これはお米の苗を雨の降るなか準備しているところ。2007年5月。Author本人。

sanpo michi


仕事である幼稚園へ行く。先生が児童に丁寧に丁寧に言葉を噛みしめて言い聞かせていた光景を見る。おそらくこの児童はこのように先生が真摯に向き合ってくれていた事実を忘れてしまうことだろう。でもだからと言って、この先生の真摯な態度が無駄というわけではなかろう。そういうことと映画「ニンゲン合格」で豊が昏睡状態の時に自分の誕生日を祝われたことを記憶していると語ったことは、どこかつながっているような気がした。記憶のある、なしは大きな差異のようで、さほど大きくないのではなかろうか。

人間の認識の限界。
人は「ない」ことを認識しやすい。自分はお金がないとか、才能がないとか、希望がないとか。でも「ある」ことは普通のこととなって、認識の外となってしまう。足があること。屋根があること。空気があること。どういうわけだか「ある」ことはスルーされてしまう。「ある」ことの凄さに目を見張りたい。

僕が中学高校の頃と決定的に変わった風景は携帯電話の携帯所持だと思うけど、もうひとつはメガネがみんなお洒落になっていることで、僕の時代はメガネは負というかすごくかっこ悪くて、恥ずかしいものだったけど、いまは小学生からおっさんまでみんなメガネがお洒落というか派手で、おそらく安価でメガネがつくれるのだろうけど、お洒落じゃないメガネが逆に目立ったりして、世の移りを感じる。メガネをお洒落にすれば儲かるというのはやられてみれば当然なんだけど、それまでは誰も気づかなかったことというかできなかったことで、世の中にはこういう、やられてみてはじめて開かれていく世界というのがある。それが世界の法則だと思う。将棋の世界とか端的にそれが現れるのでおもしろい。芸術も同じ。発見していく責任がある。




spot


九州の地場産業の先端技術を集めたイベント展示会場へ。社長と初見の留学生の中国の女性と。その女性、王さんは大学院の博士課程在学中。イェール大学がどうとかとか話していたから多分おそろしく頭がいいのだろうが、気持ちのいいくらい何かが抜けていて会話がまったく噛み合わないのだが不思議と不快な気分にはならないのだった。日本語はたどたどしいが、語られている内容は日本人の女性が話すことと変わりがないことがなにか不思議だった。でも笑うところが少しズレているような気がしたがそれも許容範囲だった。特急電車に乗っている間、喋ったり、本を読んだり。そうかと思えば、ipodで独り麻雀を楽しんでにやにやしていたりと、暇を潰すためにありとあらゆることをしていた。かと思えば、唐突に話しかけてきたり、笑ったり。目まぐるしかった。自分も「中国語が喋れるんですか?」と馬鹿げた質問をしてしまった。どんな本を読んでいるのか気になって、背表紙を見たら、中国語で「閲人有術」と書かれてあった。おそらく推測するにビジネスとかパーティーなんかにおける人心掌握術について書かれた本なのだろう。王さんがその本を読むたびに自分に話しかけてくるので、自分はそこに書かれてあることを試されているのではとさえ思った。

イベント展示会場は人でごったがえしていた。新エネルギーに関する先端技術を集めた展示会で、いろんな新商品が展示紹介されていた。イベントコンパニオンという職種の女性を初めて見た。同じ人間かと思われるほど、腰がくびれていて細かった。コスチュームの露出度が場にふさわしくなく引いてしまうほど高く、男どもが群がっていた。性衝動と購買衝動はシンクロするのだろうか。ほとんど色仕掛けに近かった。社長はけつがちいせえから駄目だ、と言い放って、その場を去った。

展示をまわるたびに、おそろしく無感動な自分に気づいた。自然の造作には草木でも感動するのに、人為的なものはそれが最高の技術を集めたものであれ、まったく心が動かなくて、自分で頭がおかしくなったのではないのかと思うほど興味を示せなかった。呆然としてしまって、社長から怒られたほどだった。あの中国人を見習えと王さんを指さした。王さんはひとつひとつのブースを尋ねて歩き、説明を聞き、熱心に質問していた。中国人には勝てんよ、と社長が呟いた。あるキャンペンガールがぼくをじっと見ていた。おそらく自分はあまりに呆然としてしまって半透明なくらい生気を失っていたのかもしれない。そういうふうに自分は見えていたに違いない。目が合うと会釈をされた。自分はきっと疲れているのだろう。

お昼休み。近場で3人で昼食をとる。自分はカレー、社長はオムライス、王さんはナポリタン。王さんはパスタというからカルボナーラが出るかと思ったら、ナポリタンだったと文句を言っていた。たしかにそのナポリタンはパサパサしていて、食欲をそそりそうになかった。王さんは大量に残した。その安食堂で、ひとりポツンとキャンペンガールが、コスチュームの上にジャンパーを着込んでめしを食っていた。疲れた表情をしていた。さきほどのふいりまいていた笑顔はなかった。エドワード・ホッパーの絵に出てくる女性を思いだした。「生きることの哀しみ」という言葉も浮かんできた。悲しみという字ではなく、哀しみという字。生きることに付随する根元的なもの。虚無とかニヒリズム、虚しさ。理由のない。深淵。あるいは労働ということについて。胸が苦しくなった。

王さんはよく喋った。いつのまにか僕の人生相談の相手になっていた。すでに人心を掌握されていたのかもしれない。今度、上海に3人で行こうという話にまで発展していた。中国人には勝てないと僕も思った。

明日も仕事なのだし、熱い風呂に入って眠ろう。



2009.10.22 活劇の呼吸
asa no kabe


きょうも朝日に輝く由布岳、麓に広がる一面黄金色のすすき、そして朝霧に沈みジオラマのように見えた由布院の街並み。この荘厳さに、なにか見てしまったものの責任を感じる。
なんだこれ。こんな奇蹟をなんども見ていいのか。


上司の遠藤さんが歯を替えた。
入れ歯なのか差し歯なのか、まだ聞いていないけど上の歯全部というから相当なことだ。まだ60前なのに。遠藤さんは若い頃、若気の至りで目が合ったとかなんとかで、喧嘩して歯を折られたこと。応援団長を務めていて、逃げるという選択肢はなかったことなどを聞いた。でもはめ具合がしっくりときていないのか、よく手で前歯をつかむというか持つ動作をするようになった。そう、歯を「持つ」という表現がふさわしい。口をあんぐり開けて、前歯を持つのだった。一瞬だけど。そうこうしているうちに、それが癖になったみたいで、よくその動作を見かけるようになった。でもその動作をするタイミングが絶妙でいつも驚かされてばかりだ。大事な説明を懸命にしていて、ちょっと息を継ぐ瞬間とか、お客さんが帰るときに失礼しましたと言って相手が頭を下げた瞬間とか、車をバックで駐車してもうすぐうまく入りそうになった瞬間とかに歯を持つ。遠藤さんは天然系の天才肌で、いつも凄いよと思って傍で見ている自分であった。