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suginikousen

なにに現実感を感じるかは、人それぞれ。
女性は現実的、と言ったりするが、男性にとってロマンこそが現実だったりする。
現実に現実感を感じない人がますます多くなるだろう。
ネット社会に強いリアリティを感じたり、ゲームこそが真実だったりもする。
宗教やUFOのほうがはるかにリアルかもしれない。

なぜ「現実」はかくも薄っぺらいものとなってしまったのか。

ひとつ思い浮かぶモデルが土壌で、土壌は外から何らかの堆肥を施さなければ、時間の経過とともに栄養が流れ出て貧しい土となってしまう。「現実」もそれと同じで、外から何らかの更新の補てんがなければ枯れていってしまうのではないか。昔の祝祭はこれに値するものだったのではないか。それは命懸けの諏訪大社のような祝祭。「現実」を一旦壊すかのような狂騒。

そのなかでもう一度「現実」を捉えなおす。
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銀杏

近くの寺の坊主が、信者のお金を使って土地を買い漁り、借金まみれになって逃亡したという。
「世界」を下支えするものが激しく揺さぶられ、不安定になっている今に、宗教の役割というものがあるだろう。この現在がどうしようもなく生き辛くても、その存在を自殺に追い込むのではなく、避難所としてある空間や思想といったもの。どうしようもない存在も生きてもいいのだという、懐のある社会。
だがそれはシステムの外に存在しなければ、意味がない。通俗化、世俗化してしまっては宗教ではなくなる。ましてや、政治化し政権を担おうとする公明党、創価学会は宗教の存在理由をはき違えている。あくまで信じない者も救われる<外>にポジショニングしなければ。
ネットは社会の<外>になり得るか?なぜ「インター」がつくのだろうか?
僕はネットの精神性、宗教性を大いに肯定したい。
2009.04.25 外字
鶴崎大神宮の大杉

某アイドルが逮捕されたとかで大騒ぎになっているが、酔い潰れて全裸になるくらい大らかに受け入れる文化であってほしいものだ。
それよりもグラフィックデザイナーとして気になるのが、ネット上で「なぎ」という文字がJIS規格の文字コードから外れた外字というやつで、表記がひらがなで示されるため本人存在と固有名との間に若干の齟齬があって、素直な認識を妨げている感があるのが面白い。
固有名詞というものは、われわれが考えている以上に堅固でその人そのものを表現している。「なぎ」がひらがなで示されれば、それはもうパロディのような別の存在が亡霊のように立ち上がってくる。
2009.04.18 正中線
淵

昔のマラドーナのプレーを見ていたら、ボディバランスが気持ちが悪いほど完璧で、どのような状況に置かれようとも体軸がまったくブレていない。地面やボールが体にくっついているようだった。
選挙の手伝いで一日5,6時間歩いたら、膝が痛くなって歩けない日があった。病院に行って見せたところ、体の中の筋肉が鍛えられていないと言われた。筋肉は内側が大事なのだ。
われわれは整地されたフラットなアスファルトの地面ばかり歩いているが、これではボディバランスは磨かれない。山道を歩くと、木の根や石ころなどがゴロゴロしていて平坦ではないが、このような不安定な道を歩くことで、体内筋やバランス感覚が鍛えられ免疫力も高まるという。
そういえば、山仕事を常とする知り合いのおっさんも、どんな不安定な山道でも体の正中線がブレず、こけそうになっても起き上がり小法師のように、センターを取り戻すのであった。
2009.04.17 劣化する貨幣
新宿の大銀杏

お金そのものが利益を生み出すという「利子」が経済の諸悪の根源ではあるまいか。
たとえばお米が貨幣であれば、時間の経過とともにその価値は下がっていく劣化する貨幣となる。
時間が利を生むという思考は、われわれから未来を奪っている。
2009.04.16 萌えあがる緑
構成

知人の選挙を手伝っていたのだが、結果は惨敗。敗れれば何も残らない。天国と地獄である。
疲れがどっときたのか熱が38.9度まであがり、寝込む。
外界の萌えあがる緑の景色を見ると、眩暈さえおきる。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」 寺山修司
mizutamari

「労働〈者〉は、資本化が儲けるさいには、必然的に儲けるとは限らないが、しかし資本家が損をするさいには、必然的に損をする。こうして、資本家が製造業上の、または商業上の秘密によって、独占とか彼の土地の有利な状態とかによって、市場価格を自然価格以上にたもつ場合にも、労働者は何らの利益もえないのだ」マルクス
2009.04.07 カオスの縁
神の井

知人が市長選に出馬したので、それを手伝っている。
選挙を題材にした映画のシナリオを書いたことがあるが、まさか参加することになろうとは思いもしなかった。選挙の現場は映画の現場と非常に似ている。主役が候補者で、監督が参謀。助監督が事務局長といったところ。現場の混沌とした騒乱は瓜二つ。マニュアルや計画は早々と崩壊し、状況判断の対処療法に忙殺される。けれど、誰もが同じ目標を共有しており、温度は疲労の蓄積とともに徐々に高まり、いともたやすく集合無意識の噴出する場を形成する。
地盤も金も人員もなく、準備期間が遅れ、誰もがこれは負け戦だと心のうちでは思っている中での選挙戦。

こういう場にはいろんな人が集まるもので、あるウグイス嬢の方は霊的能力をもっていて、はっきりと「当選する」と言いきった。またポスターを届けてきた印刷所の方は、「僕が届けたところは今まで落選したことがない」とも言い切った。選挙は結果がはっきりするゲーム。結果が楽しみである。
2009.04.02 本物の衝撃
スナックで飲んでいたら、別の団体がカラオケをやっていて、その中の送別されるらしき人が「千の風になって」を歌いだした。その人は大学で声楽家サークルに入っていたようで、メチャクチャうまかった。胎に響く歌声で泣きそうになるほど感動した。