2008.11.20
禁煙のこと

タバコが一箱1,000円になろうかという時代に禁煙をお考えの方も多いのではと思う。
私は10年間、1日1箱強ほどの喫煙習慣があったが数年ほど前に禁煙し、今も持続している。こういう話をすると「意志が強いですねえ」と褒められることが多いが、自分が人一倍意志が強いとは思っていない。自分の禁煙成功体験を端的に言うと「意志の力で禁煙していない」ということになる。もっとわかりやすく言うと「さあ!禁煙するぞお!」と気合いを入れて強い決意のもとに禁煙したわけではないのだ。おそらくそのような強い決意の元、禁煙を始めていたら失敗していただろう。自分の場合「なんとなく」禁煙を始めてみたのだ。その「なんとなく」を支えた動機は「禁煙してもいいこと一つもない」という誰かの言葉だった。生来天の邪鬼の私は何故だか、「禁煙してもいいこと一つもないなら、あえてやってみよう」と思ったのだった。禁煙していいこととして挙げられることに「健康にいい」や「ご飯が美味しくなる」「お金の節約」等々があげられるが、これらを初発の動機とすると「人生太く短くだ」とか「お金はその分稼げばいい」といった都合のいい反論が自分の中に生まれる。必ず。動機はなくていい。意味無く禁煙するのがいいのだ。
確かに禁煙1日目、3日目はかなりシンドい。吸いたくて吸いたくてたまらなかった。呑み会もちょうどそんな時期にあったし。吸いたかったけど「なんとなく」吸わなかった。やり過ごした。でも大きな山はそれだけだった。
禁煙は10年経とうが20年経とうが「禁煙中」である。この感覚は禁煙している人はよくわかると思う。今でもたまに吸いたいと思うことがあるが、吸わない。それもなんとなく。
2008.11.19
国土崩壊

企業が森づくりに取り組んでいる話は先日したが、今の日本の現状を考えると森づくりより優先させなければならないことがある。私が尊敬してやまない岐阜県の郡上で「林業で食っていく NPO法人:Woodsman Workshop」を主催する水野雅夫氏は「植林なんて必要ない。今は間伐が急務」と吠える。
戦後日本は国内の木材需要に応えるため大規模なスギ・ヒノキの植林を実施するものの、その後鉄筋コンクリート主体の住宅が主要になったため、これら植林されたスギ・ヒノキの多くが見放されてしまった。戦後60年以上経った人工林の山々は早急に間伐しないと密集しすぎていて、それを支える土壌が日も当たらず砂漠のようで、さらに放置すれば歯槽膿漏の歯茎の上にある歯のように勝手に木々が倒れていってしまう。日本の森林率は世界でもトップクラスだが、その内状は大いなる危機にさらされている。
ここ飛騨高山では朝、雪が積もってました。いよいよ冬本番です。
朝外に出たとき「ああ高山の冬ってこんな感じだあ」としみじみ思った。
2008.11.18
森づくりは人づくり

今、大企業はイメージ戦略のためCSR(社会的責任)推進室という部署を
設置し、低炭素化に向けて「森づくり」や環境問題に貢献しているところが多く見受けられる。(今ではあまり聞かれなくなったが、バブル期に企業メセナと称して企業が文化・芸術分野を支援するというのを彷彿とさせるある種のいかがわしさがなくはないが。)
森づくりを開催してきた私から言えることは、一般市民がイベントとして森づくりに参加して実際に現実的に森が形成される効果はあまりない。イベントは植樹したら終わりだが、人工的に植えられた苗木はその後の人の手入れがないと、ほとんどが枯れてしまう。そんな森づくりはポーズに近い。継続してアフターケアまで行う森づくりイベントは少ない。植樹後の手入れは「イベント」と称するには地味で達成感に乏しいが、本気で森づくりをやるならば、5年、10年と継続してやるべきだろう。
でもそんな活動でも無意味ではない。森づくりはポーズであっても、その活動により自分の生きている環境に向き合う「人づくり」が可能となるから。
2008.11.17
あとは野となれ、山となれ

この写真は新宿のビル群のド真ん中にある
伐られずに残った大銀杏の木。
庭や畑などをもっている方は分かると思うが、
雑草の繁茂する力は凄いというかうっとうしい。
だけど日本は奇蹟の国と言われていることがあって、
それは放っておいても草木が勝手に生えてくるからである。
砂漠の国では、どう手を施そうとも緑野をつくるのは難しい。
日本では人間が自然に介入しさえしなければ、
勝手に野ができ、山(森林)ができてくる。
飛行機からでもグーグルアースでもいい、
日本を上空から見るとほとんどが山であることが分かる。
日本の国土に占める森林率は約7割(68%)!
世界トップクラスである。
世界平均が30%であることを考えると、
これは驚異的な数字。
ちなみにカナダ33%。高知県は84%。
しかし残念なことに日本の森林のほとんどが荒廃の危機に
見舞われている。
2008.11.16
わら一本の革命

昨日と今日にかけて長野県の安曇野にある舎爐夢ヒュッテを
見学した。見学の目的は自然農法の実際を見てみるためである。
自然農の実践者である福岡正信氏や川口由一氏の著作には馴染んでいたが、
実際にその畑を見るの初めてだった。
自然農の骨子は「耕さず、肥料、農薬を用いず草や虫を敵としない」であるが、
これがどれほど異様で困難なことかは、畑で野菜を育てたことがある者には
よく分かるだろう。
それが目の前で現前化されてあるのだった。
本当にやってるんだ…。
耕されていない土地に、草茫々の中に、野菜が競り勝って
成長している…。しかもその野菜の有様がとても美しい。
ここのある研修生はこう言った。
「ここの畑に立っているだけで気持がいい」
「人為」が「自然」の反対語になってしまったのはいつのころからか。
自然に聴くこと、自然に沿うこと、自然に任せること。
そんな単純なことが、現代では爆弾であり、革命なのだ。
2008.11.15
鈴の音からはじまる-3

拝殿の前に供えられている巻物状の紙には、「日命神祭」と題され、
今日の日付「十一月十五日」のあとに「 加藤○○ 鈴木○○ 」と名前が記されている。
この日に亡くなられたということだろう。
この日付と氏名の書かれた紙は、毎日当日のものに開かれている。
ある日は十数名、ある日は一人の日もある。
元旦にお参りした時にもそこに名前があった。
忘れるわけにはいかないものが、あるのだ。
2008.11.14
鈴の音からはじまる-2

飛騨護国神社は飛騨高山出身の「英霊」を祀っている神社である。
ウィキペディアを参照すると「英霊」の概念には様々な議論・論争があるようだ。
西南の役から太平洋戦争までの戦没者のこと。軍人限定なのか否か。
戦病死はどうなるのか、、等々。
いずれここに書く予定ではあるが、私はある経験をきっかけに
太平洋戦争に尋常ではないほどの関心をもつようになり、
その方面の戦記や手記などをよく読むようになった。
そこに書かれているドキュメントをまるで自分の体験であるかのように
読んでいた時期がある。
私にとって太平洋戦争は、過去の遠い歴史物語というよりも、
現在に直結する出来事で、多くの犠牲者の上に成立している現在という
感覚をぬぐえない。
飛騨護国神社は、自分の散歩道にあるので、よく参拝させてもらっている。
とくに何を願うわけでもなく、鈴を鳴らし、お賽銭を入れ、頭を下げるのだが、
その拝殿の前に巻物状になって広げられたものが置いてあり、それを見るたびに
いろいろな思いが去来するのであった。
2008.11.13
鈴の音からはじまる-1
家の前を通っている道がどうも抜け道らしく、車の往来が絶えない。
しかし最近、この道路が工事のため封鎖され車が通らなくなり、
家の周辺は驚くほどの静寂に包まれている。
始終家の中にいることの多い私だが、その驚くほどの静寂の中で、
ある鈴の音が聞こえてくることに気付いた。
まったくの静寂の中から、突然響く鈴の音は
音源との距離感もうまく掴めない。
でもある時、思いたった。
それは家から歩いて2分もかからないところにある
飛騨護国神社の拝殿から聞こえてくる鈴の音だった。
しかし最近、この道路が工事のため封鎖され車が通らなくなり、
家の周辺は驚くほどの静寂に包まれている。
始終家の中にいることの多い私だが、その驚くほどの静寂の中で、
ある鈴の音が聞こえてくることに気付いた。
まったくの静寂の中から、突然響く鈴の音は
音源との距離感もうまく掴めない。
でもある時、思いたった。
それは家から歩いて2分もかからないところにある
飛騨護国神社の拝殿から聞こえてくる鈴の音だった。