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2011.06.05
残りの時間と残りの風景
知人がガンで死んだ。
知人といっても一度しか会ったことのない人だったが、話にはよく聞く人だった。
42での死の一報はあまりに唐突すぎた。
訃報はいつも朝に聞く。
「夢をみていたはずだった。覚えていようと夢の中で思った。だがめざめると、忘れていた。文昭が、彼をみてわらった。日が当たっていた。なにかが変わってしまったように思っていたのに、いつもの朝と変りはない。「秋幸、はよせんかい」と母が言った。死んだものに、この朝がないというのが不思議だった。干物を焼いたにおいがしていた。兄に、あの時、刺されて死んでいたら、自分もこの朝を見ることも、感じることもない。」『岬』中上健次
雨の降る夜に玄関前に幽霊さんが立っていることがたびたび目撃される葬祭場。
街へ行くにも山へ行くにも会社に行くにも通らないといけない道沿いにその葬祭場はある。
繁盛しているという言い方は不謹慎だが、
途切れることなく毎日葬儀が行われている印象がある。
そこの献花にその亡くなった知人の名前があることの不思議。
名字も名前も間違いはない。
親しくしていた上司の遠藤さんは何度もその献花の名前を確認していた。
おれは42のとき、たまたま神社での仕事があって、そこで厄払いをすすめられてしたと語る。
医者はみなガンで死にたいと言う。
ガンは死への準備ができるからだと。
周囲も含めて。
80まで生きるとして人生は約3万日か。
でも時間意識というのは年を重ねるごとに早くなっていくので、
たとえば40生きて、残り80まで折り返しとは単純にはならくて、
折り返しということでいえば、もう30前くらいで折り返しているのだろう。
それに40年後の平均寿命はぐっと下がっているはず。
放射能がなくても、生活に合成化学物質が増えすぎている。
昔とは同じ姿をしていても生命に力のない野菜を食べている。
風景が年を重ねるごとにますます冴えて見える。
鳥のさえずりなんかも途方もなく美しく聞こえる。
高見順だったか死を前にして見える風景の美しさを書いていたのは。
そういうことと関係あるのかもしれない。
この風景の見え方は。
家の前に小さなかたつむりの赤ちゃんが這っていた。
踏まなくてよかった。
九州北部でもやっと梅雨入りした。
カエルも鳴き出した。
雲、流れる
知人といっても一度しか会ったことのない人だったが、話にはよく聞く人だった。
42での死の一報はあまりに唐突すぎた。
訃報はいつも朝に聞く。
「夢をみていたはずだった。覚えていようと夢の中で思った。だがめざめると、忘れていた。文昭が、彼をみてわらった。日が当たっていた。なにかが変わってしまったように思っていたのに、いつもの朝と変りはない。「秋幸、はよせんかい」と母が言った。死んだものに、この朝がないというのが不思議だった。干物を焼いたにおいがしていた。兄に、あの時、刺されて死んでいたら、自分もこの朝を見ることも、感じることもない。」『岬』中上健次
雨の降る夜に玄関前に幽霊さんが立っていることがたびたび目撃される葬祭場。
街へ行くにも山へ行くにも会社に行くにも通らないといけない道沿いにその葬祭場はある。
繁盛しているという言い方は不謹慎だが、
途切れることなく毎日葬儀が行われている印象がある。
そこの献花にその亡くなった知人の名前があることの不思議。
名字も名前も間違いはない。
親しくしていた上司の遠藤さんは何度もその献花の名前を確認していた。
おれは42のとき、たまたま神社での仕事があって、そこで厄払いをすすめられてしたと語る。
医者はみなガンで死にたいと言う。
ガンは死への準備ができるからだと。
周囲も含めて。
80まで生きるとして人生は約3万日か。
でも時間意識というのは年を重ねるごとに早くなっていくので、
たとえば40生きて、残り80まで折り返しとは単純にはならくて、
折り返しということでいえば、もう30前くらいで折り返しているのだろう。
それに40年後の平均寿命はぐっと下がっているはず。
放射能がなくても、生活に合成化学物質が増えすぎている。
昔とは同じ姿をしていても生命に力のない野菜を食べている。
風景が年を重ねるごとにますます冴えて見える。
鳥のさえずりなんかも途方もなく美しく聞こえる。
高見順だったか死を前にして見える風景の美しさを書いていたのは。
そういうことと関係あるのかもしれない。
この風景の見え方は。
家の前に小さなかたつむりの赤ちゃんが這っていた。
踏まなくてよかった。
九州北部でもやっと梅雨入りした。
カエルも鳴き出した。
雲、流れる
彼岸花さん
私も、40歳くらいのとき、人生はたった3万日くらいしかないと計算して
愕然としたことがありました。なんとなく数十万日くらいはあると漠然と思ってた。
今の私には、あと300日か3千日か…というところ。
桜を見られる回数で言うと、0回から10数回…。
それだけに私は怒る!(笑)
そして、認識などという小難しいことなしに、ただそこに、今在る
小さないのちなどをほんとにおっしゃるように愛しいと思ってしまいます。
作家の丸山健二さんが、ドイツの詩人ヨハン・ペーター・へーベルの
こんな言葉から最近出版されたほんのタイトルを取ったらしい。
「われわれにとって何かもっとよい未来があるにちがいない。……
『さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない』」
美しい話だけれど、そうなのかな。…夕焼けが美しいということを
認識できるのは人間だけ。その人間の、同じ知性が地球を科学で汚染していく。
人間がもしいなくなってもこの夕焼けの美しさは変わらない。
…でも、また、人間というものがこの世にいなくなったら、この美しさを
認識するものはいない…ただ空がそこに広がっているだけ。
…そう考えると、とほうもなく寂しいですね。
だからこそ、未来の人類に、この美しい愛しい地球を今のまま残し
未来の人類が存続し続けていて欲しいと切望しています…。
愕然としたことがありました。なんとなく数十万日くらいはあると漠然と思ってた。
今の私には、あと300日か3千日か…というところ。
桜を見られる回数で言うと、0回から10数回…。
それだけに私は怒る!(笑)
そして、認識などという小難しいことなしに、ただそこに、今在る
小さないのちなどをほんとにおっしゃるように愛しいと思ってしまいます。
作家の丸山健二さんが、ドイツの詩人ヨハン・ペーター・へーベルの
こんな言葉から最近出版されたほんのタイトルを取ったらしい。
「われわれにとって何かもっとよい未来があるにちがいない。……
『さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない』」
美しい話だけれど、そうなのかな。…夕焼けが美しいということを
認識できるのは人間だけ。その人間の、同じ知性が地球を科学で汚染していく。
人間がもしいなくなってもこの夕焼けの美しさは変わらない。
…でも、また、人間というものがこの世にいなくなったら、この美しさを
認識するものはいない…ただ空がそこに広がっているだけ。
…そう考えると、とほうもなく寂しいですね。
だからこそ、未来の人類に、この美しい愛しい地球を今のまま残し
未来の人類が存続し続けていて欲しいと切望しています…。
2011/06/07 Tue 13:43 URL [ Edit ]
fukashi
やはり死を忘れるなということですね。
その次には残りの時間で、さてなにをなすべきか、なにをなさざるべきかと自問する。
空。そこに美しさを認める人間がいなくなっても、空はそこにただ広がり続ける…優れた芸術はここにまで到達しているように思えます。人間がいないというか、ヒューマニズムを超えてというか。
寂しさに追いつかれないように、走り抜けれるか。
それゆえ、小さきものを愛でることができるのかな。
メメント・モリ。
コメントありがとうございました!
その次には残りの時間で、さてなにをなすべきか、なにをなさざるべきかと自問する。
空。そこに美しさを認める人間がいなくなっても、空はそこにただ広がり続ける…優れた芸術はここにまで到達しているように思えます。人間がいないというか、ヒューマニズムを超えてというか。
寂しさに追いつかれないように、走り抜けれるか。
それゆえ、小さきものを愛でることができるのかな。
メメント・モリ。
コメントありがとうございました!
2011/06/07 Tue 21:50 URL [ Edit ]
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