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知人がガンで死んだ。
知人といっても一度しか会ったことのない人だったが、話にはよく聞く人だった。
42での死の一報はあまりに唐突すぎた。
訃報はいつも朝に聞く。


「夢をみていたはずだった。覚えていようと夢の中で思った。だがめざめると、忘れていた。文昭が、彼をみてわらった。日が当たっていた。なにかが変わってしまったように思っていたのに、いつもの朝と変りはない。「秋幸、はよせんかい」と母が言った。死んだものに、この朝がないというのが不思議だった。干物を焼いたにおいがしていた。兄に、あの時、刺されて死んでいたら、自分もこの朝を見ることも、感じることもない。」『岬』中上健次


雨の降る夜に玄関前に幽霊さんが立っていることがたびたび目撃される葬祭場。
街へ行くにも山へ行くにも会社に行くにも通らないといけない道沿いにその葬祭場はある。
繁盛しているという言い方は不謹慎だが、
途切れることなく毎日葬儀が行われている印象がある。
そこの献花にその亡くなった知人の名前があることの不思議。
名字も名前も間違いはない。
親しくしていた上司の遠藤さんは何度もその献花の名前を確認していた。
おれは42のとき、たまたま神社での仕事があって、そこで厄払いをすすめられてしたと語る。


医者はみなガンで死にたいと言う。
ガンは死への準備ができるからだと。
周囲も含めて。

80まで生きるとして人生は約3万日か。
でも時間意識というのは年を重ねるごとに早くなっていくので、
たとえば40生きて、残り80まで折り返しとは単純にはならくて、
折り返しということでいえば、もう30前くらいで折り返しているのだろう。
それに40年後の平均寿命はぐっと下がっているはず。
放射能がなくても、生活に合成化学物質が増えすぎている。
昔とは同じ姿をしていても生命に力のない野菜を食べている。


風景が年を重ねるごとにますます冴えて見える。
鳥のさえずりなんかも途方もなく美しく聞こえる。
高見順だったか死を前にして見える風景の美しさを書いていたのは。
そういうことと関係あるのかもしれない。
この風景の見え方は。


家の前に小さなかたつむりの赤ちゃんが這っていた。
踏まなくてよかった。
九州北部でもやっと梅雨入りした。
カエルも鳴き出した。


雲、流れる


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