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2011.04.25
緑

偉人とよばれる人たちのエピソードがいろいろあるけど、
その偉人ぶりは非常時にこそわかる。
たとえば、いま以前のように平静に本を読んだり、
映画を見たりすることはなかなか難しい。
世界をまなざす遠近法は明らかに狂い、
小さなものを大きく、大きなものを小さく認識してしまう。
上野寛永寺での大砲響く戦火のなかで、
通常通り講義をしていたという福沢諭吉の尋常ならざる狂気のような理性。
いまとなってはこのエピソードの重みもわかる。
荷風の被災時の日記が猛烈に読みたくなる。
美容師さんとの会話がどうも苦手なのだが、
やっとナチュラルに会話できる美容師さんと出会えた。
これって自分にとってはすごいことだと。
九州各地でも地震多発。もはや安全地帯はないな。
投票所から出た瞬間に誰に投票したか忘れていた。
出口で調査され一瞬あたまが真っ白に。
原発推進派のほとんどが当選して、原発反対派の票は伸びず。
多数決って、最強に不平等。
政治で人が幸せになることは永遠にない。
永遠の桜の木になるだけだろう。
原発とか津波被害に意識が向いている別のところで、
なにか途方もないものがひたひたと進んでいる感あり。
それがよきことであってほしいが。
不謹慎かもしれないが、
物への執着があきらかに薄くなった気がする。
中沢新一氏が緑の党のようなものを結成するらしい。
Come Into My World
彼岸花さん
3.11を機にして、日本人のものの考え方は、否応なしに変わって
いくのじゃないでしょうか。4月8日の朝日のアンケートの頃は
絶望していた私でした。「これほどのことが起きても、
まだ大多数のひとの意識は変わらないのか!」と。
でも、徐々にですが、原子力発電に頼りすぎること、見なおそうよ、
という考えが、浸透していきつつあるような気がします。
少し希望を抱き始めています。
しかし、こういう事故が起きてからではなく、平時に大きな見通しを
たてておくことのできる、人間の想像力というもの…。
それは、あの構造改革などというものがいつの間にか始められた頃から、
だんだんおろそかにされるようになりました。
すぐに役に立たない学部学科が廃止されてしまうなど。
私は、文学、哲学、心理学、史学、宗教学など、大学でこれらに対する
一般教養的な知識を身に付けることこそ、大学で学ぶ意味がある、
と考えるような人間です。
勿論、社会に出てすぐ役に立つ、専門知識も必要。でも、それらの根本に、
各人がこうした文系の学問で身に付けた、世界観のようなもの、
言わば、そのひとの精神の骨格を作っていく学問が欠かせないのではないかと
考えるのです。心の襞を豊かにすること。
それをいつからか、この国は疎かにし、効率と利潤だけを
追及するようになってしまいました。
3.11は大きな悲劇でした。
でも、この悲劇の一部始終(政治のありようも含めて)を今、見ている若者たち。
彼らのこころには、なにかがきっと生まれている気がしています。
連帯感と互助の精神も勿論ですが、それ以上に、「この世には本当に
理不尽なことがいつ起きるかわからないのだ』という無常感…。
それはひとのこころを陰翳に富んだものにしていくという気がします。
中沢新一さんの『緑の党』のようなものを作るという構想。期待したいですね。
そこに多くのそうした、深く物事を考える若い知恵が集まって、
腐臭芬々たる今の政治家、企業人が出来なかった、新しい発想の
いい国を創っていって欲しいと願っています。
声高なものがなにかを動かす国ではなく、
静かな叡智がこの国を引っ張っていく、そんなふうになるといいですねえ。
いくのじゃないでしょうか。4月8日の朝日のアンケートの頃は
絶望していた私でした。「これほどのことが起きても、
まだ大多数のひとの意識は変わらないのか!」と。
でも、徐々にですが、原子力発電に頼りすぎること、見なおそうよ、
という考えが、浸透していきつつあるような気がします。
少し希望を抱き始めています。
しかし、こういう事故が起きてからではなく、平時に大きな見通しを
たてておくことのできる、人間の想像力というもの…。
それは、あの構造改革などというものがいつの間にか始められた頃から、
だんだんおろそかにされるようになりました。
すぐに役に立たない学部学科が廃止されてしまうなど。
私は、文学、哲学、心理学、史学、宗教学など、大学でこれらに対する
一般教養的な知識を身に付けることこそ、大学で学ぶ意味がある、
と考えるような人間です。
勿論、社会に出てすぐ役に立つ、専門知識も必要。でも、それらの根本に、
各人がこうした文系の学問で身に付けた、世界観のようなもの、
言わば、そのひとの精神の骨格を作っていく学問が欠かせないのではないかと
考えるのです。心の襞を豊かにすること。
それをいつからか、この国は疎かにし、効率と利潤だけを
追及するようになってしまいました。
3.11は大きな悲劇でした。
でも、この悲劇の一部始終(政治のありようも含めて)を今、見ている若者たち。
彼らのこころには、なにかがきっと生まれている気がしています。
連帯感と互助の精神も勿論ですが、それ以上に、「この世には本当に
理不尽なことがいつ起きるかわからないのだ』という無常感…。
それはひとのこころを陰翳に富んだものにしていくという気がします。
中沢新一さんの『緑の党』のようなものを作るという構想。期待したいですね。
そこに多くのそうした、深く物事を考える若い知恵が集まって、
腐臭芬々たる今の政治家、企業人が出来なかった、新しい発想の
いい国を創っていって欲しいと願っています。
声高なものがなにかを動かす国ではなく、
静かな叡智がこの国を引っ張っていく、そんなふうになるといいですねえ。
2011/05/07 Sat 21:50 URL [ Edit ]
fukashi
彼岸花さんは大分に縁のある方だったんですね。
数年前の派遣切り問題が起こったときに、もうこのままではこの国はやっていけないと思ったのですが、大きな改革の波は特に起きませんでした。
真の改革や革命は、もう選択の余地はないというところまで追い込まれないと起きないのだと思います。
震災で多くの犠牲者、そして原発はこれから何年もかけて多くの被害が目に見えてくることだと思いますが、そのときになってやっと革命の機運が生まれるのかもしれません。(でも東京では週末は大きなデモが起きているようです)チェルノブイリからソ連崩壊までは5年。
ほんとにいまは国としてちゃんとこれからやっていけるのかというところまできていると思います。原発問題は暗いですが、真の変革へのチャンスは今程開かれているときはないという意味では明るい希望をもちたい。
数年前の派遣切り問題が起こったときに、もうこのままではこの国はやっていけないと思ったのですが、大きな改革の波は特に起きませんでした。
真の改革や革命は、もう選択の余地はないというところまで追い込まれないと起きないのだと思います。
震災で多くの犠牲者、そして原発はこれから何年もかけて多くの被害が目に見えてくることだと思いますが、そのときになってやっと革命の機運が生まれるのかもしれません。(でも東京では週末は大きなデモが起きているようです)チェルノブイリからソ連崩壊までは5年。
ほんとにいまは国としてちゃんとこれからやっていけるのかというところまできていると思います。原発問題は暗いですが、真の変革へのチャンスは今程開かれているときはないという意味では明るい希望をもちたい。
2011/05/08 Sun 20:41 URL [ Edit ]
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