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大久保のヒノキ


椎葉村のさらに奥まった集落にその大ヒノキは立っていた。

ヒノキは成長するのに時間がかかるせいか、ヒノキの巨樹を今まで見たことがなかった。
このもう枝とも幹とも判別しがたいまでの樹勢の広がりぶりはなにかの化身かのようだった。

うねる、うずまく。

エネルギーというものをシンボライズすると、縄文土器の文様のような渦巻きが一番ふさわしいようだ。
DNAの螺旋の渦とも無関係ではあるまい。

このヒノキを闇夜で見たら、たぶん木には見えまい。



話はそれるが、写真表現とはなんなのか考える。

この写真はあのヒノキの迫力を少しも伝えることができないでいる。

だけど写真はそもそも情報を伝えるためにあるのではないことが容易に想像できる。

写真は私の体験を追認してほしいがためのツールではない。

じゃあ、なんだと問われると答えに窮するが、人間の目に写るよりもより大きなものをカメラが見ている、そしてそれを人間が見る(カメラに助けられて)、、カメラを通すことによって世界認識を昨日とは違ったものにしていく、そんなことが簡単に可能なのがカメラというやつのすごいところかな、と。

頭の中にあるヒノキのイメージと写真のイメージは現段階では違うのだけど、やがて写真のイメージにまとめられていく。頭の中は過去に依存しがちだが、写真は100年前のものでも現在に不断の更新を迫ってくる強さがある。

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