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tokyoST 2007

今日から10月。ついたちの日は何事かが刷新されていく感があって気持ちがいい。
元旦とかがその極みだけど、日本にはつねに古くて疲労したものを流して刷新していく文化がある。
節目節目は想像している以上に大切な機能を果たしている。



僕の好きな画家の人がブログで東京都現代美術館のメアリー・ブレア展を絶賛していて、もうすぐ展示が終わってしまうということで、休日にぜひ行こうと思ったのだが、ふと自分は今、東京に住んでいないことに気付いた。。。。。

東京都現代美術館は自分の大好きな美術館のひとつで、足繁く通っていたのでその親近感は尋常ではない。そんな親近感が物理的な距離を超えて、行こうと思わせたのかもしれない。ほんとに何も考えず、日曜行こうと思ったのだから自分でも不思議だ。

それにしても地方に住んで一番愕然とするのは芸術の文化的成熟度の低さで、東京には自然はないけど文化の集中する都市で、映画だって地方のレンタル屋には韓流ばかりで、ヌーヴェルヴァーグの作品なんてひとつも置いていない。エリック・ロメールとか衝動的に観たいと思うことがたまにあるけど、安価で手軽には見ることができない。コンサートとかライヴでも、地方はかなり悲惨だ。

東京都現代美術館のメアリー・ブレアのホームページを見て、欲望をなだめる。
でもこの色彩の衝突のさせ方は半端でなく凄いなあ。ここまでくると狂気さえ感じる。マティスの切り絵もそうだけど、線ではなく色の面で構成する絵画に大きな可能性を感じる。絵の技術のある人はどうしても線に走ったり線に頼ったりするけど、色面の快楽って、なんだか「人間」を解放させるがごときのスケールを自分はいつも感じる。

あー、でもやっぱり絵画は生で見てなんぼだ。。残念。

画集のマティスを見てマティスを「理解」したと思ってもほとんど意味がない。優れた画家ほど、生の対面した時の衝撃は深い。
(でもウォーホルは画集で見るのとオリジナルで見るのと全く体験が同じだったのには驚いた。確かに「複製」ということを作品のアニマとするなら、それはそれで正解なのだろう。)

ちなみエリック・ロメールの「緑の光線」という映画はビデオで見ても、ラストの緑の光線を見ることができない。たぶんDVDでも。やっぱりスクリーンに映し出されたものこそが、映画と呼ばれるのだ。


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